26話 小さな主と大きな御輿

冷たい夜風を切って、リナとウォルフラムを乗せた箒は進んでいた。高度は地表から十数メートル。だだっ広い砂地の上空を静かに飛んでいる。
「体力を削りすぎても良くないので、スピードはそこそこで行きます。日中の日除けと休憩に向けて、前のカニさんのような、大型モンスターを手に入れたいですけど、進路の付近にいますかねぇー…」
うーん、と考えるリナは、箒から両手を離してぐるんと逆さまに脚でぶらさがった。
(自由な奴め)
ウォルフラムは呆れ顔だが、声には出さなかった。
「なら、少し西に進路をずらせ。岩場があるはずだ。その付近なら、トータス・エンペルがいる可能性がある。別名“歩くオアシス”。甲羅に木々が宿っている大きな亀のモンスターだ。根は襲ってくるぞ」
「良いですね。そんな詳しい情報、どこで知ったんですか?」
「お前が散々俺に、この辺りの地誌や資料を読ませたんだろう。」
ウォルフラムは腕を組んでリナを見た。
「あ、そうでした。ウォルフラムさんのインプットが早すぎて、予定に無かった書物も沢山渡したんでした。何かお願いしないと勿体ない気がして。」
「……人を使う才能があるな。」
彼のため息は尽きない。
「それで、攻略のセオリーは?」
「頭部の破壊だ。他の部位破壊ではほとんど怯まないらしい。お前のゾンビみたいだな。」
「ゾンビじゃなくて、ゴーレムです。しかし頭部破壊はちょっと……使えなくなる可能性がありますね。土壇場で出来そうなら、別の方法を提案します。」
二人が岩山を登り切ると、さっき越えた山の背が後ろに伸び、前方には浅い谷が口を開け、その向こうに小さな登り斜面が持ち上がっていた。
「いませんねー」
リナは盛り上がっている岩山を越えるように進む。地表が高くなるにつれ、岩肌が近づいてきた。
「リナ、少し高度を上げろ。先に狙われたら不利だ」
言われた通り、リナは地上との距離を取る。
その時、背後の山の背がガラガラと崩れた。跳ねた岩が落石となって、二人の進路を追いかけてくる。
「避けられます!」
剣を出したウォルフラムが振り抜くより先に、リナが箒をひと息で加速させた。大きな岩は、二人のはるか下へと転がり落ちていく。
だが次の瞬間、正面やや下からグイッと何かがリナの脚をさらった。彼女の身体が箒から引き剥がされ、宙づりになった。
「わっ、モンスターの射程に入っちゃったみたいですね。」
足首を掴んでいたのは、動く木の根。前方の登り斜面の岩の割れ目から飛び出している。浅い土と低木が根を養い、束になった根が斜面の内部を這い回っている。
「チッ」
ウォルフラムがリナを捕らえている根を斬ろうと剣を構えるが、リナが声で制した。
「待ってください。この根の先に、目的のモンスターがいるはずですから、本体へ送ります」
宙づりのまま、リナが短く命じる。箒が応じ、ウォルフラムを乗せたまま前方の谷の先、登り斜面の方へ突っ込んだ。
その着地点の表土と岩が月光を受けて盛り上がる。ひび割れがうねり、巨大な陸亀が岩肌ごと体を起こした。甲羅は見渡せるが小さくはない。村の小さな広場ほどの幅があり、石と苔に覆われ、その中央には浅い庭が載り、小さな低木が点々と生えている。頭はリナのほうを向いたままだ。
箒は背側の縁に沿って回り込み、ウォルフラムを甲羅へ降ろした。着地と同時に彼は前方へ体を傾け、甲羅の上を一気に駆け、頭部へ斬り込む角度を取る。
その刹那、背後から、束になった根が一斉に跳ね起きた。背を薙ぎ、足元を掬いに迫る。
スバババッ
ウォルフラムは半身で振り返り、背面に払う斬りで根を叩き落としつつ、体の向きを戻して前進を続ける。剣先はなお頭部へ向いたままだ。
トータス・エンペルの頭の方から、リナの声がした。
「すみません、避けてもらえますかっ?」
根を払い落とされるや、亀はリナをウォルフラムへぶつけようと投げつけてきたようだ。風を裂く気配が一拍で迫る。
ウォルフラムは即座に剣を消し、両腕で受け止めた。ボスっと胸骨に鈍い衝撃が伝わる。
そのまま数歩飛んで木の根を避けてからリナを降ろす。
「着地出来るのに」
降ろしてもらいながら、リナは軽く不満を漏らした。
「馬鹿め。素直に避ける男がいるか。いたら腰抜けだ」
ウォルフラムはリナに視線を向けず、なおも背後から迫る木の根を剣でいなした。
「斬っても斬っても出てくるな。」
リナを背後に庇いながら、無数に襲いくる根をうんざりしたように捌く。
「ウォルフラムさんの剣はよくダメになりませんね。斧でもないのにこれだけ木の根を切っておいて…」
「魔力強化してるんだ。そうでなくても魔剣だ。当たり前だろう。」
「確かに!」
「お前は暇そうだな」
「ちゃんと仕事してますよ!だから思考が抜け落ちてたんです。ほら!」
リナは短く切れた木の根を掲げた。その手は幾何学模様の光の輪に包まれている。
「分析しました。面白いですよ。確かにウォルフラムさんの言ったとおり、この亀はゾンビですよ。」
リナは興奮気味に目を輝かせた。
「亀は寄生されて自我は死んでます。本体はこの木のボスですね。木々を操っている魔力が感じられます。ウォルフラムさんも、それだけ膨大なものを持っているんですから、魔力は感知できますよね?」
「…む。小さい力には慣れない…」
ウォルフラムは探るように目を細めた。
「ああ、ゼロか百かの環境で育ってるから…。あの辺りですよ!甲羅の中心部、小さな泉の場所。」
「……」
根を散らしながらも、しばらく注意深く何か探していたウォルフラムは細めた目を開いた。
「あれか。」
ターゲットを見つけるや、魔剣を振るって黒い炎の斬撃を真っ直ぐに飛ばした。ドドン、と斜線上の木々が吹き飛び、甲羅の中心にあった泉が揺れた。
「あっ! ウォルフラムさん気をつけてくださいよ!カメさんが真っ二つになったら使えないですからね!」
「加減したつもりだ。…ちょっと危なかったか?」
吹き飛んだ木々を越えて、青い小鳥がパタパタと飛び立った。小鳥はこちらを見ている。
「あれが本体、木々と泉の主。カメさんに寄生してオアシスを作り、誘われた獲物から養分を得る者です。だいぶ小さいですね。」
その時二人の脳裏に直接声が響いた。
『よく私を見つけたな。これまでの人間は皆、この巨体を本体と信じていた。——我が名はメーテル。上位精霊だ』
メーテルと名乗る小鳥としては、威風堂々と語ったのだろう。しかし、リナは首を傾げた。
「め、メール?遠いし小さいし、よく聞こえないです!」
「メートルじゃないか?」
「ピピーッ!(無礼な!)」
思念の声が上手く届かずに、名前を間違えられたメーテルは怒った。襲いくる木の根が増殖し、二人を全方位から囲う。
「そんなの増えたところで同じだ。」
ウォルフラムはリナをぐいと側に引き寄せると小さく言った。
「動くな」
一瞬木の根で包まれて闇と静寂が迫るが、ウォルフラムの剣は一瞬でそれをかき消した。根の切断で、パアンと明るく弾ける。
「もう良いですか?」
リナは音もなく箒に乗って離れた。
「私がいると、邪魔になりそうなので。」
小鳥はリナへと近づいてきた。
『人間よ。お前たちはいつも私の庭を壊しに来るな。』
「オアシスを餌に『釣り』をしているんですから、食うか食われるか、お互い様でしょう?」
『ハハハ!言うじゃないか小娘。しかしお前は美味しくないな。実も無ければ魔力も無い。そこの小僧は高級品だ。アレをくれればお前は見逃してやるぞ?』
リナに無警戒に近づきながらメーテルがピピッと笑う。
(私が魔力のない魔法使いだから、格下に見てるのね。精霊から見れば当たり前ね。)
『“凪刃”』
風の音と共に、緑の光が飛んできた。巻き上げられた木の葉がスパンと切れる。リナは難なく避けるが、それはブーメランのように回転しながら何度も彼女を追跡する。
ウォルフラムを襲う木の根は勢いを失っていた。
「カメを譲るならお前は見逃してやるぞ?」
跳躍した彼の剣はメーテルの背後に迫る。メーテルはその小さな体で素早く動き、なかなか当たらない。
『地を這う者が、この私に一太刀浴びせられるとでも?』
ガキン、とリナの防御魔法陣がメーテルの攻撃『凪刃』を防いだ。
『陳腐な防御だ。“凪刃”はいくつも出せるぞ』
メーテルは複数の刃を形成すると、ウォルフラムからリナへと流れる川のように放った。
刃が軽く、リナの目の前で彼女の手のひらをかすめた。
ウォルフラムはびくりとリナを見て、それから睨む。
(この前の二の舞はごめんだ。)
「避けられないなら亀ごと全部斬るぞ?」
誰への怒りか、冷たい響きを放つ。
「すみませんが、わざとです。さっき防御魔法で威力は測りました。このまま拮抗しては私が被弾しなくても、ウォルフラムさんが全部斬りかねないので、どうしても魔力に直接触れたくて。」
言いながら残りの凪刃を避けきる。しかし、その刃は戻ってくる。
『わざと? お前は魔法使いだろう? 魔力もないくせに何を余裕ぶってる?』
刃は再び魚の群れのようにウォルフラムへ迫る……と思いきや、それらはメーテルに向かった。
「ハッキング成功。“凪刃”は貰いました。そして、あなたのその小鳥も。」
『!? …動かない?』
メーテルは羽ばたくこともなく落下しながら、緑に光る刃の波に飲み込まれ霧散し、追うように刃の光も消えた。
光の中、秘密の花園。淡い色彩の女性が爪を噛む。
「くそっ。なんだあの即時解析は! 精霊魔法だぞ? 魔法使いのそれとは違う魔法式を、いとも容易くハッキングしおって!」
鳥の姿ではない、メーテル本体だ。
沈黙したトータス・エンペルの上。木々の残骸が散らばっている。
「消えた…。アイツは死んだのか?」
ウォルフラムが尋ねる。
「いいえ。精霊は人間に忠誠を誓わない限り精霊界から出てきませんから、あれはアバターですね。こちら側との繋がりが切れて、精霊界に送還されました。」
リナは魔導書から一葉を取り出して、描かれている魔法陣を手に当てて発動。掌を握ったり開いたりして傷が治ったことを確認した。
「武器屋で実験用に用意してた修復魔法が残っててちょうど良かったです。ずっと持っていても使えなくなっちゃう魔法なので。」
ウォルフラムは目的のために平気で傷を作るリナを横目に、ため息をついた。
「お前はもう少し他のやり方はないのか。間違えたら大けがするだろう。」
「大けが…」
リナは何か思い出したように魔導書をめくった。
「ウォルフラムさんに、渡しておく物があるんです。装備するので背中を貸してください」
「?」
リナはウォルフラムの背に回ると、魔導書の一枚を切り取って当てた。パアッと魔法陣が発動し、胸元にホルダーが現れ、短剣が収まった。
「私がザハラの武器屋で作った短剣です。楼蝸牛の反転魔法と、私の故郷の御守りを材料にしました。ウォルフラムさんがもし、瀕死のダメージを負ってしまって魔神化しそうになった時、私の手が間に合わないならこれを自身に刺してください。」
リナがウォルフラムの胸の方へ回り込み、革のホルダーから短剣を取り出して軽く刃を握って見せた。
「刺しても傷を与えることはなく、むしろダメージを回復します。実証済みなので信じてください。あと、私の故郷の対魔の呪文が効くかは分かりませんが、魔神化を防げる希望として組み込んでます。回復量の上限を超えると武器自体が消失します。」
ウォルフラムは唖然と、少し早口の説明を聞いていた。
(実証済み…実験用に用意していた修復魔法…)
彼女の狂気的な研究気質は自らを実験台にするのも厭わない。
「作った後にちょっと思うんですけど、寝てても触れてれば魔神化を防げるなら、もし小指の一本でもウォルフラムさんが飲んでしまえば効果があるのか…」
「やめろ。」
ウォルフラムは変な汗をかきながら、リナの言葉を遮った。
「やだなぁ、実際に指を切るわけないじゃないですか。気になってるってだけです。」
「お前は、どう見てもやりかねないんだ。いいか、自傷行為にあたるようなことはするな。気分が悪い。」
「……ウォルフラムさんが言います?(死のうとしてたのに)。良いですよ。私だって別に痛い思いをしたい訳じゃないんです。必要だったってだけで。」
リナはあっさり受け入れたが、逆にそれが信用ならない。ウォルフラムはまたも、ため息が尽きなかった。
「それで、その短剣は呼び名があるのか?」
「はい。エヴァ・ロックと。使った御守りの名前がエヴァ・ロックハートなので」
一瞬、間が空いた。
(エヴァハート…リナの姓と重なる……)
「…いいのか?俺が持っていて。大事なものなんじゃ……?」
「もちろんです。飾りにしておくより、有効に使うほうが私の価値観に合います。あくまで万が一の保険ですが、絶対に手放さないでください」
リナはためらいなく、短剣をホルダーへ戻した。
「……お前らしい。……感謝する」
ウォルフラムは照れくさそうに視線をそらした。
「…何故そこまでするんだ?」
小さく、問いかけた。
「え?」
「何故そこまで俺にこだわる。お前にとって旅の協力者なら、もっと安全な選択も探せるだろう」
リナはニヤリとした。
「ウォルフラムさん、分かってません。言ったじゃないですか。あなたは私の欲しい魚を誘き寄せる、”餌”。」
それから軽くトンとウォルフラムの胸を指で小突いた。
「そこにある魔剣が、ビーコンなんでしょう。優秀ですよ」
悪そうな笑みだった。
「さあ、このカメさんはゴーレムにして動かします。日除けを作ったら休みましょう。オアシス付きで贅沢な拠点ですね。」
まだ月明かりの静かな夜を背に、リナは満足そうに笑った。
