25話 騎士と狩人

翌日、リナたちは武器屋の工房を間借りしていた。
昨日の夕方ごろから、農場の準備は落ち着いてきて経過観察がてらにレオの質問に答える程度になったため、レオに仲介してもらって来ていたのだ。
「店主さん、この前いただいた爪のナイフ、ありがとうございました。それで、今回はこのナイフを加工させていただきたくてですね…!」
リナはピョンピョンと興奮気味に、単純なナイフを掲げた。
「おう、初期段階のナイフだからな。多くのハンターも初めはこれに加工を重ねて使えるもんにしていくんだ。それで、どういった加工を希望だ?おすすめは…」
「違うんです。私が自分で加工をしたく。」
リナは話を遮った。
「…えっ?工房を借りたいって、そういう…?」
店主は戸惑いの表情を浮かべた。
「嬢ちゃん、使える武器を作るには長い経験が必要でな…」
リナには難しいだろう、と説得しようとするが彼女はまた食い気味に話す。
「武器として使いたいんじゃないんです。ちょっと、お守りみたいなもので。故郷の技術と、この砂漠のモンスターの特性を配合したいと思っています。…私の父も、鍛冶職人なんです。ザハラのものとは違いますが、少しは知見があります。」
「…そうかい。まあギルドからの要請だからな。この街の殆どの施設はアイツらが建てたモンだ。ここも好きに使いな。……壊すのはやめてくれよ?」
「ありがとうございます!」
リナはにっこり笑うと、近くのテーブルに魔導書を開き、必要な物を召喚した。大量の本、瓶に入った水、少しの薬草、楼蝸牛の殻。そして、自分の箒の柄に結んでいた、ガラス球のような御守りを解いてコトンと置いた。旅立ち前に、父サミュエルが贈った品“エヴァ・ロックハート”だ。
ウォルフラムは工房の入り口で立ったまま、様子を見ていた。リナが振り返る。
「ウォルフラムさん、そういえば鼻は良くなったんですよね?」
「多分な。感覚的には問題ない。」
「あ、じゃあやっぱり私が検査を…」
昨日に引き続き、またリナが背伸びして彼の両頬に触れた。
ウォルフラムが警戒の顔に、店主が驚きの表情に変わる。
(嬢ちゃん、何しようと?)
その時、カランと店のドアが開き、ゲイルが入ってきた。少しの間が生まれる。
「お前ら、店でイチャつくなよ…。」
真顔で静かにツッコミを入れるゲイル。
イラッとしたウォルフラムは、無言でリナをつまみ上げるとその辺にポイっと捨てた。
「お前の検査とやらは断ると言っただろう!二度と試すな。」
(…?なんだったんだ?)
ゲイルは状況が分からないまま。
「何でここにいるんだ?ビギナー装備」
「いい加減に、その妙な呼び方をやめろ。」
少しの沈黙が流れる。
(仲が悪いのか…?)
店主は眉をひそめて二人の様子を伺った。
しかし、リナは場の沈黙に気づく様子もなくトタタッとゲイルに近づいて行った。
「ゲイルさん!この間はどうも!今日は私たちは農場計画については空き時間が発生していますため、こちらにお邪魔しておりました。夕方には最終確認をして発ちます。ゲイルさんも何か加工に?」
リナの言葉の真意は、ギルドから街を出るよう要求されているのに、油を売っていることへの説明。「約束通り今日には出て行く」との宣言だった。
「別に、出て行くのを急かしてる訳じゃないさ。」
ゲイルも弁明し、布袋を肩から降ろして続ける。
「俺は次の獲物に向けて、属性武器の依頼に来ただけだ。店主、“サイレント・ツインズ”の二段階強化まで、この素材で頼む。」
店主が材料を確認する。
「揃ってるな。よし、明日の12時納品でいいか?」
「ああ、よろしく頼む」
(新規作成で明日納品…!プロのスピードはすごいのね)
リナは思わず口を開けてしまっていた。
「それで、アンタ怪我はどうなんだ?ギルドで作ってるポーションを使ったから、すぐに効いたとは思うが…」
ゲイルは先日手当てした、リナの怪我を気遣って問う。
「ええ!その日のうちで殆ど表面は分からなくなりました。もう完治してます! すごいですね。緊急時とはいえ、あんなの無償提供して大丈夫なんですか?」
「問題ないよ。一応さっき返しておいたし。アトラトル砂漠の優秀な素材が素だから、俺でも調合できるんだ。」
ゲイルはさらっと言ったが、リナは「おお!」と目を輝かせた。
「すごいですゲイルさん!私たちのために色々と…!何かお礼をしなくてはいけませんね。」
「っ!よせよ。アンタらがレオに頼まれてやってる事は、この街の全員が感謝すべき偉業だ。俺の小さな助けなどは、なんて事ないんだ。悔しいけどな。」
ゲイルは意外と謙虚だった。
「まあ、農場が成功するのかは知らんが、既にレオがゴーレムという労働力を得ただろう。あれは俺たちハンターがモンスターを納品する以上、革命的な力だ。」
「えっ!もうゴーレムのことをご存知で?」
リナが驚く。しかしゲイルは何を言ってるんだ、というように眉を顰めて答えた。
「朝からレオのやつが街の復興に出しまくってるんだ。あんな目立つことすりゃみんな分かるだろう」
「レオさん…昨日まであんなにサラマンダーに緊張してたのに…?」
リナは唖然とした。
「そうなのか?意気揚々と使いまくってたぞ?」
「成長が早いんですね…。もう私のおかげというより、レオさんの能力がかなり高いんだと思います…。」
「まあ、アイツはザハラの立ち上げからここで頑張ってるらしいからな。歴史の浅いこの街の中じゃ大ベテランだ。あ!」
ゲイルが何か思いついたように言った。
「リナちゃん、アンタじゃなくて、そっちの男になら、頼みたいことがある」
彼はウォルフラムを横目に見る。二人の距離感に、リナがクスッと笑った。
「二人とも名乗り合ったらどうですか?挨拶が無いから自信を持って呼べないのでは?」
「「……。」」
ゲイルとウォルフラムは無言で目を合わせた。
「ゲイルだろう?知っている。」
先に口を開いたのはウォルフラム。彼は続けた。
「ウォルフラムだ。正直に言えば、あまり本名を言いふらしたくは無い。お前も会議に参加していたから分かるだろう?俺は、追われ身だ。目的は知らんがな。」
王子の身分には触れずに、フェインという謎の敵が彼を狙って来た事実はギルドへ共有済みの情報だ。
「俺も名前は知ってたさ。ちゃんと会議資料は読んだ。リナちゃんも言ってたしな」
ゲイルはウォルフラムに数歩近づき、ナックルを持つ片手を彼に向けた。
「では、ウォルフラム。俺と勝負しろ。今度は武器を持って。」
「……は?」
ウォルフラムは怪訝な表情を返す。
「断る。どういうことだ、死にたいのか?」
その言葉を笑い飛ばしたのは、武器屋の店主だった。
「はっは!坊主!ザハラのハンターの決闘は基本的に武器を使うんだ。ここの武器はただの形だけの道具じゃない。それぞれ特性があって、それを使いこなせるのがハンターとしての質だ。そいつは喧嘩じゃなくてお前さんとハンターの勝負がしたいってのさ!」
それはある意味で、敬意を持った申し出だと理解できた。
「いや、しかし…」
ウォルフラムはリナをチラッと見た。彼女はというと…、止める気ゼロのニコニコの笑顔で二人を見ていた。
「いいんじゃないですか、ウォルフラムさん。羨ましいです。でも魔剣は使えませんね。あれはまずいです。」
「当たり前だ。おい、ゲイル。俺の剣はここの武器ではないし、何というべきか……とにかく強すぎるんだ。遊び半分に使っていいものじゃない。」
しかし、その説明の合間にリナがガサゴソと何か取り出した。
「これを武器にするので、どうでしょう?」
リナが取り出したのは、ただの長い葉。
「ああ、それならまだマシ…」
「おいおい、嬢ちゃん冗談はよせ。」
ウォルフラムの返事も待たず、店主が割って入った。
「ゲイルの坊主と同じのを、貸してやるよ。」
ウォルフラムはハッとした。
(しまった…!完全に勝負を受ける流れになっている…)
ゲイルはその動揺の表情を見逃さず、ニヤッと追い討ちをかけた。
「そもそも、俺に借りがあるんじゃ無かったか?返させてやるって言ってんだ。」
フェインとの戦いで、ウォルフラムを助けたのはゲイルだ。借りを返せと言うのなら断れない。
「……チッ」
カラン、
武器屋のドアが鳴り、一向は店の外へ出ていた。
「私はちょっと、忙しいので…。近場でやっていただけるなら、どうぞお二人で。」
店の前まで二人を見送ると、リナは淡白にドアの向こうへ去って行った。
「えっ…、お前の相棒、ドライだな。気にならないのか…?」
ゲイルが唖然とする。
「アイツはそういう奴だ。」
「おーい!決闘するらしいぞ!」
突然、店主が声を張って近くの者に言いふらした。
「!?何やってんだ…!」
「街の風習だよ、みんな好きなんだ。こういうの」
驚くウォルフラムに、ゲイルは笑った。
「別に、今度はお前を舐めてる訳じゃない。最後のチャンスだと思ったから挑んだんだ。だがお前、剣士だろう。いいのか?剣じゃなくて、俺と同じナックルダガーなんて特殊な武器。しかもさっき説明を聞いただけの、仕様もわからん状態で…」
ゲイルがナックルを構えると、そこから青白い光の刃がブゥンと現れた。
ウォルフラムも同じように構える。彼も難なく同じ青白い光の刃を形成する。
「刃物なら…いや、刃物に見えるものなら、何でもいい。俺のルーツ的には、そう在るべきなんだ。道具の魔力に頼るのも、ある程度慣れてる」
ゲイルは少し顔を顰めた。
「それは、育ちが良いことで。…行くぞ!」
彼は地を蹴った。
「“羽根の刃”!」
ナックルを打ち合わせると、青白い光の刃が白く変化して、彼は脅威的スピードを発揮した。ゲイルの軌跡に白い線が残り、姿を追うのも難しい。
キンッ
ウォルフラムは表情を変えず、背後に回り込んだゲイルの刃をナックルで受け、弾いた。
キキキッと激しい打ち合いが起きる。
「初めて会った時は、他所から来た初心者がザハラのハンターを舐めてるもんだと、誇りを盾に短絡的になってたんだ。」
「だろうな。」
打ち合いの最中で、ウォルフラムも両手のナックルを軽く弾いた。
「“羽根の刃”。」
ゲイルとは変わって静かな詠唱。
途端に二人の姿は消え、ビュオオッと風が吹くような音と共に、そこらを白い光の軌道がキンキンとぶつかり合う。
「おお!もうやってるぞ。ゲイルさんは!?み、見えねえ!」
アトラトル・ゲッコーに乗ってゲイルの取り巻き達が集まってきた。そこらは人だかりで賑わっている。
「エールはいかがー?」
強かな商人は、騒ぎに乗じて酒を売り出していた。
「俺がこの街に来てからの数年、リンダはずっと越えるべき壁だった。」
ゲイルの刃がウォルフラムの防御をすり抜ける。ウォルフラムが首を軽く逸らすと、髪を一房パサっと落とした。
「だがお前のツレが言うには、お前がリンダに並ぶんだと」
「やはりアイツが余計な火種を撒いたんだな」
ウォルフラムが一手を弾いてナックルの部分で下から殴る。
ゲイルは刃で受けたが、体は押し出されて建物の壁に飛んだ。背はつかない。足で壁を踏む。
多くの野次馬たちの目には、白い光の弾丸が壁に当たってゲイルが現れたかのように映った。
「どうなってるんだ?」
「ハハ!俺には見えるぜ!」
目で追えるか追えないかが、彼らにとってのポテンシャルとして働いていた。
再びビュオオッと吹く風の音と共に、白い光が青みを帯びて二人の男の姿も戻って来た。
「…なるほど。スタミナ消費と引き換えに素早く動けるのか。面白い武器だな。」
ウォルフラムは相変わらず汗もかかずに、初めての武器を評価した。
「ハッ、…余裕ぶりやがって…!まだスピードを維持出来たのに、俺に合わせて解除したな?」
少し息を切らしたゲイルは、苛立たしげに笑う。
「初心者なんだ。使用感を確認しているだけだろう。怒るなよ。」
ゲイルの刃を受け流しながら、フゥッとため息を漏らす。
「このっ…!無意識に煽りやがる…!才能あるなあ!?」
ゲイルはウォルフラムの刃を屈んで避けながら、地面に両手のナックルダガーを突き立てた。
「“爆の刃”!」
瞬間。二人の間に爆発が起き、両者共に吹き飛んだ。
ズザッと離れたところに互いに着地する。二人とも、爆発の瞬間は刃で受けていた。
ゲイルはズザッと滑った地を蹴り、追い討ちに走る。
ウォルフラムはついた片膝を立ち直して、破れた服の上からパンパンと軽く砂を払った。そして、初めて少し笑う。
「少し効いた。」
「嘘つけ。」
ゲイルは既にウォルフラムの目の前。ゲイルが繰り出す激しい刃の連撃を、ウォルフラムは少ない動きで静かに流す。
「俺はハンターとして育った訳ではない。離れた地で、魅せる演舞として刃を振るい、体を使っていた。だが狭い世界に満足できなくて、力を求めてここにいる。」
赤い長髪が燃えるように激しくなびき、碧青色の瞳は撃ち合う刃の光を映す。
「お前は、何者なんだ?何故そこまで余裕がある?」
持たざる者の悔しさ。生まれながらに戦いの教えがあり、血筋に魔力が備わっていたウォルフラムの身分など知らずとも明らかな格差が刃から伝わる。
「余裕か。お前にはそう見えるんだろう。俺にだって、手の届かない壁がある。」
脳裏には絶対王者、兄ルークの姿。
「追いかけても追いかけても、届かない。それでも足を進めるしかないんだ、俺たちは」
ズバァンとカウンターの重い一撃が走り、避けたゲイルの腰に蹴りが入った。少しの距離が生まれる。
お互いに、間を計りながらジリジリと距離を詰めていく。
タン、と大きい跳躍から、ウォルフラムが先に仕掛けた。振り抜いた光の刃は、ナックル本体を離れてブーメランのようにゲイルへ飛んだ。
おおおっ、と観衆の声が響く。
「!?なんだそれ…!」
ゲイルは驚きながらも、バンっと爆破を使いながら、光の刃を弾いた。
「さすがゲイルの兄貴だ!」
観衆は更に盛り上がりを見せていた。
「?……こういう使い方はしないのか?」
ウォルフラムはいつもの手癖だったので、ゲイルの反応に逆に怪訝な顔をした。
キンッ、と二人のナックルが距離を詰めてぶつかる。
「今のは、武器職人の意図には含まれない技だ。どうやって…!」
「普段俺自身の魔力でやってる斬撃だ。ちゃんと武器の魔力でイメージを通したんだが……何かルール違反だったか?」
ウォルフラムは真面目に困惑して、カンカンと攻撃を弾きながらも少し押されていた。
「…天然ちゃんかよ。武器の使い方にルール違反なんてねぇよ。良い技を見れた!お前と闘った(やった)甲斐があるぜ。」
ゲイルは嬉しそうに刃を振るう。
(使い慣れた武器にもまだ、俺の知らない可能性があるんだ。もっともっと磨ける技があるはずだ)
「俺はそろそろネタ切れだ。次で最後だ!」
再びゲイルが両刃を打ち合わせた。
「“雷の刃”!」
ドォン!
と大きな音が響き、辺りが眩しく照らされた。
ゲイルが振り抜いた刃は、受けたウォルフラムのナックルの刃を撃ち砕き、周囲に激しい風圧を放った。
ウォルフラムも、元いた位置から十歩ほど滑り押された。
(ヴィクター…!)
目を見開いたウォルフラムは、ゲイルの技を見てかつての知人に重ねていた。
砕けたナックルの刀身は、黒い炎で再形成された。そこから、彼の身体に、うっすら黒い炎が宿る。
『小僧、随分と、楽しそうだな…?』
内側から声が聞こえてきた。
(思わず、自分の魔力を出してしまった…!今のがトリガーになったか…?抑えられるか?)
息が、鼓動が、早くなる。
(まずい、ダメだ。出てくるな)
『今更遅い』
炎がより黒く、大きくなる。
「これでも、ダメか」
ゲイルが悔しそうに身構える。
「待て。俺の、負けだ。」
ウォルフラムは息を切らして降参する。ナックルをカランと地に落とし、額には汗が滲んでいた。
カラン、とドアの音を立てて、静かにリナが出て来た。
「…ッ、早いな…気づくのが…」
苦しそうに荒げた息で、しかしリナの早さに安堵を漏らす。
「大きい音でしたからね」
トトト、と彼女がウォルフラムに近づき、触れると黒い炎が治まった。
『フン…察しの良い娘で助かったな』
声は遠くへ消えた。
「何だ…?」
ゲイルはキョトンとして見ていた。
リナがニコッと振り返る。
「楽しめました?彼は限界です。すみませんが、ここまででお願いします。」
ゲイルはその言葉の意味を、はっきり分からず、リナの後ろのウォルフラムをチラリと見た。
「…悪い。納得いかないかもしれないが、お前の勝ちなんだ。今のは効いた。…良い技だった。」
外傷は無く、しっかり立っている。しかし確かに顔色が悪いようだ。
(何かあるんだな。)
ゲイルは納得したが、観衆たちは物足りなさそうだった。
「ええ!もっと見たかったぜ!何でやめちまうんだよー」
「そうだぜ、やっと酒が入って来たのに!」
「お前らうるさいぞ!そんなに遊びたきゃまた俺が向こうで相手してやる。ついて来い。」
ブーブーと文句を言う男たちを、ゲイルが引き連れて去って行った。
午後。農場の経過観察は問題なく、再び武器屋の工房で、リナは作業を始めた。
「いやあ、レオさんには驚きました。ゲイルさんの言っていた通り、ゴーレム多数を使いこなしてましたね。流石モンスターの専門家。」
リナが感心して言った。
「…あの畑で、作物が育つのか?」
ウォルフラムはまだ疑っていた。
「絶対とは言えません。植物の種類も、私がよく知るものでは無いですし。ですがデータ上は私の故郷の畑と、近いものが出来てます。何か失敗していても、レオさんなら悪いところを探して直すプロセスが出来てるはずです」
リナはテーブル上で、柄の無い刃だけのナイフに、杖を翳して幾何学模様を彫り込んでいた。
店主は離れたところから、たまにチラリとその作業風景を覗いていた。
「あ、ウォルフラムさん、これ読んでてもらえませんか?」
リナが思い出したかのように、テーブルの隅に重ねて置いていた五冊の分厚い本をポンポンと叩いた。
「今後の旅に備えてレオさんに借りたので、私が読みたいんですけど、時間が無くて。後で内容を聞くので。」
リナの淡白な依頼に、ウォルフラムはため息をついた。
「…人を機械か何かのように使うな。いいだろう。契約だから協力してやるが、その二冊はさっきここを出る前にもう読んだ。」
彼は上に積まれていた二つを指差した。
「本当ですか!?助かります!……ソレイユの歴史書はともかく…無名学者の世界呪具考察文なんて面白くないもの、よく読んでましたね」
「お前が選んだんだろう。他に何もすることがなかったんだ。文字を眺めてると落ち着く。しかし専門用語は知らん。単語そのままを記憶に入れただけだから意味は聞くなよ。」
「充分です!」
リナは満足そうに微笑むと作業にもどった。
(…あの本を暗記しただと?午前のあの、決闘の後の少しの時間で…?)
離れて見ていた店主は、訳が分からず口を開けて混乱していた。そして真実なのか冗談なのか、考えるのを諦めて手元の斧を布で磨いた。
静かな時間が流れる。
本を読むウォルフラム。短剣に似合わず、カチャカチャと精密な加工を施すリナ。時折りゴトン、と斧でモンスター素材を解体している店主。
その時、徐ろにリナが小さなピンセットのような工具を手放し、加工中の剥き出しの刃を手に取ると、自分の腕を軽くスパッと傷つけた。
ピッ、と少しの血が散った。
「!?嬢ちゃん何してっ…!」
店主が驚くのを他所にリナは隣に用意していた魔法陣にその腕を翳してすぐさま傷を治した。
「痛ったぁ…。いや、切るつもりじゃなかったんですけど、切れない刃を作ろうとしてて失敗を。処置用に魔法陣置いてて良かったです。」
「……切れない刃?…なんて捨て身な実験なんだ」
ウォルフラムは見ていなかった。
「何かあったか?」
本から視線を上げて二人に問う。
「いえ、何も無いですけどぉ?」
リナは子どもが悪戯をした後のように視線を泳がせた。
「ふうん?」
店主に目線が移る。
「ちょっと失敗したみたいだが、彼女曰くは問題無いらしい……」
店主は、自分は知らないと言う風に両手を上げて首を傾げてみせた。
夕方。
「ゴランさん!大変お世話になりました。」
店の外で、満足そうな笑みのリナが店主に挨拶をした。
「名前、聞いてたのか?」
リナにウォルフラムが聞いた。
「ええ。ゲイルさんとあなたの勝負を見るんだ〜って機嫌良くお酒を取りに来てたので、その時に。」
「……」
(ザハラの者にとっては、見せ物だったか)
「嬢ちゃんも元気でな!無茶は若者の特権だが、程々にしておけよっ!」
店主、ゴランも笑顔で手を挙げた。
「世話になった。」
二人は最後にギルド研究所前の、試作の畑を訪れた。
「お、来たねえ」
リンダと海王丸が待っていた。レオはその後ろで微笑んでいる。
「わー、リンダさん!来てくれたんですか?私から会いに行きたかったのに!」
リナは彼女にだいぶ懐いてるのか、側まで駆けて行くとぴょんぴょん跳ねた。犬みたいだ。
「アンタたち、夜の出発で良かったのかい?ギルドで寝て行けば良いのに。」
リンダはリナの頭をポンポンと撫でながら、視線をウォルフラムに向けた。彼女はゲッコーでも撫でている感覚なのかもしれない。
「リナが決めたんだ。俺も、夜の方が移動しやすいとは思うし賛成だ。」
「おうおう、街を出るんだってなあー?」
「俺たちに挨拶は無えのかよぉう!」
「さっき知ったんだぜ!冷たいな!」
ギルドの方から、ロイヤルズのレックス、デューク、バロンが出て来た。手にはジョッキを持っている。
「一杯付き合ってから行けよおっ!」
デュークがウォルフラムの肩を組んだ。アルコールの匂いが鼻につく。
「…!!そういうノリはやめろ酔っ払いども!」
「誰が酔ってるってんだよう!俺たちはまだ全然いけるぜ。ほら飲めよー!」
バロンも反対側からウォルフラムを挟んで、グラスを差し出す。
「そうだぜ男なら飲めよっ」
追い討ちをかけるように、レックスが正面から小さな酒ビンをぐいっと押し付けた。ウォルフラムが顔を逸らしたので頬に瓶の口が当たる。イラッ、と彼の目が光る。
ドカドカドカッ
ウォルフラムは遂に怒りのままに、三者を殴り捨てた。
「そこで伸びてろ酔っ払い!」
三人は呆気なく各々のグラスと一緒に転がった。
「わっはっは!元気なこったね。…アイツらなりに寂しいんじゃないか?」
見ていたリンダが笑った。
「人気ですねウォルフラムさん!」
リナは真顔で感想を漏らした。
「他人事だと思って…」
その時、ビュオオッと風の音が聞こえた。
キイン!
突然風のように現れたゲイルの刃を、ウォルフラムが魔剣で受けた。
「俺に剣を出させるな。」
ウォルフラムが睨む。
「挨拶に来てやっただけだ。」
バッとゲイルが後ろに下がり、ナックルの光の刃を消した。
「急に人に斬りかかるのは、挨拶とは言わない。」
ウォルフラムも魔剣を消した。
「今の!何ですか!?」
二人の張り詰めた空気など、全くの無視で、ゲイルの技を初めて見たリナが彼の側へ走った。
「面白いです!武器の特性ですか!?何の素材をっ…魔力源は」
リナがズイズイとゲイルに寄っていく。
「ち、近い…!」
後退りしたゲイルが、気迫に押されてボスっと尻餅をついた。リナの勢いは止まらず、ナックルを持つ彼の手を両手で握ると、武器とゲイルを交互に凝視した。
彼は堪らず目を背けると、そっとリナの肩を押して離した。
「離れてくれないか…?」
ゲイルの泳いだ視線がウォルフラムに向いた。
ウォルフラムはため息を漏らす。
「そいつはパーソナルスペースの概念が無いんだ。お前の挨拶も大概だったぞ。反省しろ。」
「あ、あの、このタイミングになって悪いのだけど、働いてもらったので、ギルドから少し報酬がおりることになったんだ。金額を確認の上で受け取って貰えるかな?」
もはや馬乗りでゲイルを追い詰めているリナに、レオがおずおずと声をかけた。
「え?」
リナが振り返り、ゲイルを離して立ち上がる。
(このタイミングに声かけてくれて助かる…!)
周囲の視線が辛かったゲイルは安堵した。
『店でイチャつくなよ』と自分が今朝リナとウォルフラムへ放った言葉が自分に刺さるようだった。
リナはレオが持って来たバインダーの資料を見た。
「街を破壊しちゃったのは私たちが原因である可能性が高いので、マイナスになりそうなものですけど…」
「そこも加味して数字を出してるよ。ほらここがマイナス費。全体ではプラスになって良かったよ。」
「………」
「どうしたの?」
「ウォルフラムさん、下界の金銭感覚が分からず。代わりに見てもらえませんか?」
リナはウォルフラムに助けを求めた。
((下界…?彼女は天から来たのか?))
ゲイルとレオは少しの困惑を覚えた。
保護者が金銭の管理をしている間に、リナの側に珍しくマリアが来た。
「リナさん、羨ましいですわ。」
彼女はため息をついた。
「ザハラではもう二度と彼のような男(ヒト)には、出会えないでしょうね。私、初めてあんな綺麗な方を見たんです。お二人は、お付き合いしてるんですか?」
その話題には、意外とリンダも興味があった。彼女は仁王立のまま、二人を静かに見守る。
「?…ああ、男女の色恋沙汰のお話ですか。」
リナの反応は淡白だった。
「マリアさんには悪いですが、彼は今女性には興味を持てないと思いますよ。」
リナは少し不憫な想いを抱きながら、レオと話すウォルフラムを見た。
しかしマリアの解釈は少し違った。
(女性には…?)
彼女はゲイルの方を見た。
(なら、この中で一番可能性がありそうなのは彼?さっきの“挨拶”とかも、息ぴったりだったわ…!)
「……なんだ?」
マリアの視線にゲイルが困惑した。
「あなたには、負けたくないです!」
マリアはビシッとゲイルを指差した。
「…?」
リンダだけが、その意図を汲み取り、やれやれと苦笑いした。
日が落ちて、地平線の向こうだけがうっすらと灯りを残していた。
「それでは、お世話になりました!」
リナが箒に跨り、後ろにウォルフラムを乗せた。
レオはニコッと握手を交わした。
「アンタの夢とやらが、叶うといいね」
リンダが手を振る。ゲイルとウォルフラムはお互い無言で視線を交わし、マリアが寂しそうに見守り、ロイヤルズは…、まだ気絶していた。
二人を乗せた箒はフワリと舞い上がると、音も無く、月に影を落として消えた。
