24話 賢者のレシピ

火山から帰った後の昼下がり。ギルド納品所の一角で、リナはヤシの実のジュースをすすっていた。
「ふうっ、生き返ります!」
幸せそうな笑顔で頬に手をやる。少し離れた場所では、ウォルフラムと研究所の職員であるマリアが、グリルセットを囲んで香ばしい煙を上げていた。
「陽鯨の脚を食材としてお渡ししました。」
リナが報告すると、研究者のレオは驚きの声を上げた。
「えっ、この短時間にサラマンダーだけでなく陽鯨まで狩って来たのかい?」
「はい。たまたま襲ってきたので、ウォルフラムさんが。」
「……なるほど。しかし陽鯨は火が通りにくい。調理が難しくて、外側を大きく削った刺身が主流なんだが……」
レオが素材の調理難易度を指摘する。
「はい、分析にかけておきました。鯨さんは、熱耐性の魔法式が細胞レベルで組まれていますから。下処理として分解魔法をかけるか、冷凍して魔法式が自然劣化するのを待てば、火が通るようになるんです。今回は魔法で処理しました。」
「そ、その分析をどうやって……!」
「ああー…すごく地道なんですよね…。生物によって魔法術式の表現は様々です。まずは見た目や魔力の波長から規則性を探して、古代言語を読み解くように、何度もパターンを予想して辻褄合わせの確認をするんです。」
リナは申し訳なさそうに頬杖をついた。
「こればかりは経験と、自分の中への解析モジュールの蓄積になりますね…。私たち故郷の研究者は皆同じようなことをしますが、安易にコピーできるものではないんです。」
「なるほど…」
レオの肩に乗ったカマキリが、カリカリとメモを取っている。
「すごいですね、レオさん。モンスターに文字を書かせるなんて…。しかもちゃんと小さいところから段階を踏んで作りこんでる…。始めの頃はこういう段取りができずに、躓く子が多いんですよ。」
リナが感心して見ていると、レオは少し照れながらも素直に喜んだ。
「僕の仕事にも、近い概念があったからね…」
その時だった。ドドッと音を立てて、複数のハンターたちがリナのもとへ押し寄せてきた。ウォルフラムの立てる煙と匂いに誘われてきたようだ。
「なあ、嬢ちゃん!あそこで良い匂いを放たれちゃ我慢ならねえ!あんたが雇ってるっていう、あの兄ちゃんの串焼きを売ってくれよ!」
予想外の展開に、リナは少しビクッと体を震わせた。
「え!?あ、ああ、ウォルフラムさんのバーベキューが…皆さん食べたいんですね。たくさんあって余ると思うので良いですけど…。私もお腹が空いているので、先に食べて良いですか…」
言うが早いか、ハンターたちは早く食えとリナを急かし、肉焼き現場へ連れて行こうとする。
「おい、お前たち犬じゃあるまいし慌てるな。そいつに触るな。」
ウォルフラムが、自分の料理が原因で彼らが暴走したことに気づき、慌てて駆けつけてきた。男たちがリナやレオの周りに集まる状況は、ついこの間、大きな敵に遭遇したばかりの彼にとって、当然の警戒対象だ。
「失礼。」
リナはぴょんと自分の身長ほど跳躍すると、一人の男の肩に手をつき、軽やかにウォルフラムの隣に着地した。
「問題ないです。彼らに悪意はありませんよ。」
おおお〜っと男たちから感嘆の声が上がる。拍手する者までいた。
「まあ、確かに悪意は無さそうだが…何があるか分からん」
すると意外にも、レオがパンパンと手を叩いて彼らをまとめた。リナにはまだ馴染みのない、西方共通語で話す。
「君たち、気安く客人に触ってはダメです。警戒されては取引できませんよ。交渉に来たのでしょう?少し道を開けてください。」
ギルド職員としてハンターの扱いに慣れているのか、ウォルフラムに萎縮するような面影はない。開かれた道を通って、レオもリナたちの元へやってきた。
「申し訳ないね、彼らは…、悪気はないんだ。君たちの調理が気になるようだけど、旅の資金集めにでも、売ってみる気はあるかい?値段が高くてもこのザハラじゃ誰も文句はないよ。もちろん、お二人の食事の後で。マリアを窓口にしていい。僕たちの方が世話になっているんだからね。」
「なるほど…確かに資金は心許ないですね。ウォルフラムさんがやってくれるなら…」
「…………。」
正直、調理人として働くのは彼のプライドが許さない。だが、研究に関わっていない以上、時間も材料も余っている。何より、資金は確かに必要だ。
「……クソッ。二度とはないぞ。」
こうして、不本意ながら「屋台ウォルフラム」が開店してしまった。
リナは早めの昼食として陽鯨の串焼きを頬張りながら、レジャーシートのように広げた大きな革へ、文字や魔法陣を彫っていた。
「ゴーレムへ、モジュールを付与する為の転写台を作っています。私たちならこれが無くても、自分の魔力で抵抗のない素材へ術式の転写くらいは出来るんですけど…」
言いながら、食べ終えた串をカップに放ると、丸い型を革の一箇所へトントンと打ち付けて窪みを作った。
「ここに、動力源の魔結晶をセットします。」
そして、離れた場所に描いた小さな四角い枠と、中心の一際大きな枠を指し示す。
「こちらには楼蝸牛の素材をセットし、メインフレームにはゴーレムにしたいサラマンダーを置きます。楼蝸牛の素材は適量がありますが、今回は200グラムの肉片を使いましょう。計算式は後ほど共有します。」
テキパキと作業を進めるリナの言葉を一言一句逃すまいと、レオと彼の助手のカマキリは集中していた。
「では、こちらがメインの魔法陣です。その魔結晶に触れて、こちらに魔力を流すイメージで発動をお願いします。レオさんのイメージで、サラマンダーの能力が反転するはずです。」
レオが息を飲んで、言われるがままに魔法を発動する。
パシュンッ、と音を立てて、革に彫られた溝をスキャンのように光が走った。
サラマンダーに光が到達すると、その赤い岩肌が青白く変化し、ゴツゴツしたフォルムがほんの少し滑らかになる。
それはゆっくりと動き出すと、レオの側まで歩いてきた。レオはビクッと後ずさる。
小さなカマキリの次が、自分より大きな凶暴トカゲなのだ。恐れるのも無理はない。
「レオさん、主導権はレオさんにあります。犬を飼っているようなものだと思って良いんですよ。」
リナはレオとサラマンダー(改)の間に立ち、説明しながらにっこりと振り返った。
しかし、その笑顔のまま続けた言葉は、安心できる内容ではなかった。
「術者が激しく動揺すると、暴走に繋がるので、気をつけてくださいね。」
「そ、そういうことは、発動前に言ってほしかったな…」
レオは泣きそうな声を絞り出して抗議するしかなかった。
「今回、転写台は試作品なので革で作っていますけど、そのうちもっと丈夫な素材で作り直してください。書き込んだ内容も解説していきますね…」
リナたちが研究に奮闘している間、ウォルフラムは永遠に串焼きを作っていた。
良い匂いに釣られて客足はどんどん伸びていく。
そもそも素材が良い。リナの下処理という名の魔法分解が、陽鯨の本来の味と火の相性を最高に引き出している。
そこに、ウォルフラムの王族として鍛えられた味覚が、完璧な調味料の組み合わせを導き出していた。
マリアが接客を代わってくれているが、慣れないバイトまがいの作業をする羽目になるとは夢にも思っていなかった。
仕事を選んでいられる身ではないのだ、と自分に言い聞かせるも、客が増えれば増える程、耐え難い恥ずかしさが込み上げる。
別に調理業を馬鹿にしているわけではない。ただ、自分の柄に合わないのだ。
その時、リナがやってきた。
「ウォルフラムさん、作ってばかりで食べてないのでは?」
それだけ言うと、焼けた串の中から一つをひょいっと取り、彼の口に半ば強引に押し付けた。
「!?…むぐっ。」
リナの不意打ちに対応できず、思わず食べてしまう。その様子を、マリアはしっかり見ていた。
(はっ…!あれは女性が男性へ贈る甘いシチュエーションと噂の「あ〜ん」ではっ!?そ、そんな方法が…!)
その勘違いが、彼女の乙女心に火をつけた。
(私も負けてはいられません!ここで引くという選択肢は無いわ!)
マリアは決意すると、ウォルフラムの元へ駆け寄る。
「私としたことが失礼しました!ウォルフラムさんの補佐を任されたというのに、貴方が食事を出来ていないことに気づけないなんて!さあ、私もお手伝いしますわ!どうぞ!」
ウォルフラムは「何をする」とリナを睨んで彼女から顔を背けたと思ったら、今度は反対方向から来たマリアに串を突きつけられてしまった。
「はい、あ〜ん。」
「なっ!?やめ…!!?」
抵抗の声を上げようと口を開けば、そこにグイッと肉を押し込まれて何も言えなくなった。
(コイツら…!!)
客のハンターたちは、その光景を見て口々に言う。
「うわぁ、アイツ両手に花かよ…」
「モテる奴はいいよな。」
ウォルフラムの迷惑に共感してくれる者など、誰もいない。ただ一人、そっとサラマンダーを連れてその場から逃げ出したレオを除いては。
レオは納品所の少し離れた場所にある、畑の土台となる平地まで来ていた。
そこは、リナがもたらした異郷の技術の展示場だった。
砂を固めたようなレンガを、リナが使役していたゴーレムたちが運び込み、広大な四角い土台を形成している。そして、その土台のあちこちに、まるで古代遺跡の碑文のように、幾何学模様や未知の文字がびっしりと彫り込まれていた。
「これを、リナさんが去った後は僕が読み解かなきゃいけないんだ…。」
その複雑怪奇な記述の繋がりを一つ一つ指で追いながら、レオは歩いていた。
「このラインは、ここと繋がってる…。こっちの術式が、楼蝸牛の反転効果を受け取って…?一度ここで変換して、こっちの円陣に返して…?」
ゴニョゴニョとレオが呟くのに合わせ、彼が持つバインダーの上で、カマキリがカリカリとペンを走らせていく。
レオなりに、この壮大な魔法システムの「仕様書」を作っているのだ。
お昼時が過ぎた頃、リナとウォルフラムはレオの元へとやってきた。
畑の土台となるその場所へ近づきながら、ウォルフラムがぽつりと呟く。
「今回のは、失敗だ…。鼻が効かなくなった」
「ああ、確かに!フィルター魔法が消えてからも、ずっと煙を吸う作業でしたからね。」
二人の会話が、レオの耳に届いた。
「ちょっとダメージを測って治療を…」
リナが言うが早いか、彼女は背伸びをしてウォルフラムの頬を両手で包み込んだ。
(嫌な予感しかしない…!)
ウォルフラムは弾かれたように後退り、その手を振り解く。
「お前のその遠慮の無さをどうにかしろ…!せめて何か説明してから処置に入れ!」
「ああ、失礼しました」
しかしリナは少しも引くことなく、遠のいた距離を再び詰め寄る。
「ちょっと喉の内側に触れるだけです。私は能力上、直接触れるのが最も少ない魔力で解析できるので…。なるべく吐かないようにしますから」
それはつまり、喉に指を突っ込むという、紛れもない宣言だった。
「断る!危険への察知能力が多少疎くなるだけだ。風邪でも引いたと思えば、いずれ自然に治るだろう!」
レオは気の毒そうにその光景を眺めていたが、自分に飛び火せぬよう、そっと後ずさった。
(嵐だ。嵐がこちらへ近づいてくる…!)
しかし、ウォルフラムのあまりの剣幕に、レオは勇気を振り絞って助け舟を出す。
「あの…対モンスター用だけど、毒ガスを食らった時の治療に使う吸入器があるよ…。それで良ければ…」
「おお!天才ですかレオさん!興味あります、是非試しましょう!」
リナが目を輝かせた。
「じゃあ、マリア、吸入器を取ってきてくれるかな?」
レオの声掛けに、二人の後ろに控えていたマリアがにこっと微笑むと、研究所の方へスタスタと歩いていった。こうして治療方法が確定したことで、ウォルフラムはひとまず最大の難を逃れる。
(鼻へのダメージを申告したのは失敗だったか…。いや、しかし五感の退化はリスクだ。共有すべき情報ではあったが…)
彼は何食わぬ顔で、内心頭を抱えていた。
「では、処置を終えたら結果だけ教えてくださいね!」
リナはもう興味を失くしたのか、さっさとレオとの研究に戻ってしまう。
ウォルフラムは畑の土台の前に設えられた石のテーブルへ腰を下ろす。そこには、レオが置いていったのであろう、いくつかの書物が重ねられていた。
やがて、マリアが戻ってくる。
「書物が気になりますか?開いても大丈夫ですよ。後で、お好みのものをいくつかお持ちしますわね」
彼女はにこやかに言うと、ウォルフラムの隣に座り、まるで看護師のように手際良く吸入器を準備し始めた。
「こちらから蒸気が出ますので、特に意識せず呼吸をしていてください。私が持っていますから」
マリアが機器をウォルフラムの口元まで近づけると、シューッと柔らかな蒸気が立ち上る。彼女は仕事に集中しているようだったが、その視線は熱っぽく、彼を幸せそうに見つめていた。
(……リナに指を突っ込まれるよりは、マシか)
ウォルフラムは気まずさから目を逸らすように、諦めてテーブルの本をぱらりと捲った。
その頃、リナはレオが作った仕様書を覗き込み、興奮していた。
「教えてないのに!既に仕様書を作成されているんですね!本当は作るべきなんですが、面倒だから、私は作らなくて良いかなって思っちゃってました。」
「う…、リナさんらしい…。せめて中身が正しいか見てくれるかな?」
「えーと、あ!ここ、間違ってました、私が。」
リナは仕様書と実物を見比べ、自身の設計に不備を発見したらしい。トタタ、と畑の土台ブロックへ駆け寄ると、杖を翳して幾何学模様を少し描き直した。
「いやあ、レオさんのおかげでテスト前に気づけました。いつもはこの規模だと、試しに魔法を実行して、何回か失敗しながら修正しているんです。」
「へ、へえ…」
レオの背筋を、冷たい汗が伝った。彼には到底真似できない無鉄砲さだ。
そうしているうちに、熊のようなゴーレムたちが土を運び終え、そこはもう立派な畑の様相を呈していた。
「地下水路の代わりに、地面の下に敷いたメインの魔法陣が“渇き”を“潤い”へ変換します。防風林を立てるのもアリなんですが、一旦は適当な結界をつけたのでこの付近は温室の壁がある様なものです。人や生命体は通れますが、カーテンを抜ける様な感触を感じる場合もあります。これらを維持するには、ここに楼蝸牛の素材と魔結晶を…。二週間ごとの手動交換で、その都度、発動・運用してください」
リナはつらつらと説明しながら、指定の場所に素材をセットしていく。
「私が発動させたいところですが、ここはレオさんで試す必要があります。お願いします。起動点は分かりますか?」
「魔結晶の位置、かな?」
「はい!合ってます!」
リナの快活な声に背中を押され、レオは畑の隅に複数置かれた魔結晶へ手を翳す。ピピッと、スキャンのような光が走り、広大な畑の魔法陣が淡く輝いた。
「な、何か変わったかな…?」
「見た目では分かりづらいですからね。水をかけてみて、しばらく湿度が保たれるか計測しましょう。検証には時間がかかります」
リナは、レオが待機させていた青白いサラマンダーに目を向けた。
「あの子は試しましたか?」
「あ、まだなんだ。何が起こるか少し怖くて…。」
「炎を吐く代わりに、水を吐けるはずです。指示してみてください。何かあれば私が……あ、ウォルフラムさんがどうにかします。」
(だ、大丈夫だろうか…)
レオが不安げに呟きながらも、恐るおそる指示を出す。
「で、では…トカゲくん、軽めにお願いします」
サラマンダー(改)は主の命令に応え、空に向けてぽんと水の塊を放った。
「お。成功してますね。」
しかし目で追う水球の方向に、レオは焦った。
「待ってあの方向…、ごめん!マリア避けて!」
レオが慌てて部下の方へ駆け出す。空から落ちてきた水の塊は、バシャンッ!と派手な音を立てて、彼の予想通り、マリアのいた場所に着弾した。
彼女は無事だったが、庇ったウォルフラムが頭から水を被ってずぶ濡れになっていた。
「リナ!お前はもう少し周りに配慮というものをだな…!」
ウォルフラムの青い瞳が、怒りに燃えて恐ろしく光る。しかし、庇ってもらったマリアは頬を赤らめ、当のリナは『てへぺろ』と言わんばかりに頭に手をやり、「失礼、事故です」と悪びれもなく言うのみだった。
「ご、ごめんなさい…!僕の指示が未熟で…!」
青ざめて謝罪するレオに、ウォルフラムはふんと鼻を鳴らす。
「わかっている。リナの監督責任だ」
それからサラマンダー(改)で畑の土を十分に湿らせると、一行は湿度の変化を待つ経過観察へと移った。
「ふう。後は待ち時間だし、シャワーでも浴びてクールダウンしてはどうだい?ウォルフラムくんも濡れてしまったし…。」
レオが提案する。
「そうですね!行きましょう、ウォルフラムさん!」
リナがウォルフラムの腕を掴んで引っ張った。
彼女の足は猛ダッシュしているが、その力で彼を引けるはずもなく、結局ウォルフラム自身のペースで歩いていく。
まるで、興奮気味の犬を散歩に連れているかのようだった。
そうして、レオの目の前の嵐は去って行った。
