22話 蠍と王子の包丁さばき

その夜、ウォルフラムはいつも以上に眠れなかった。
フェインに見せられた悪夢が瞼の裏に焼き付き、何度もうなされては目を覚ます。
その度に隣で眠るリナに視線しせんを向けると、彼女は決まってブランケットを蹴飛ばし、無防備むぼうびな体を夜風に晒していた。
砂漠さばくの夜は、凍えるほど冷えるというのに。

拾い上げてかけ直すが、次の瞬間しゅんかんには見事な蹴りで再び吹き飛ばされる。
自分のローブを重ねてやっても、結果けっかは同じだった。

「……幼児か、お前は」

何度目かの攻防の末、ウォルフラムはついに根負けした。
諦めて焚き火の火を大きくすると、夜明けまで彼女の寝ずの番をすることに決める。
彼の隣では、リナが夜番よばんに立てたさそりのゴーレムだけが、カサリとも動かず主の眠りを守っていた。
ウォルフラムはその無機質むきしつ背中せなかに、ぽつりと話しかける。

「……お前が、主の布団も管理してくれればいいんだがな」

返事のない相棒と共に、彼は静かに朝を待った。

翌朝、約束通りギルドを訪れると、そこには異様な空気が流れていた。
寝不足でげっそりとしたウォルフラムの顔は、しかし、驚くほどその場の雰囲気ふんいきに馴染んでいた。
ギルドマスターも、研究けんきゅう員のレオも、その場にいた受付嬢も、誰も彼もが目の下に深い隈を作り、まるで亡霊のように青白い顔をしている。
昨夜の襲撃の後始末で、ギルドの運営陣は皆、一睡もしていなかったのだ。

会議のために集まったハンターは、リンダとゲイルだけ。他の者からの情報じょうほうは、昨日のうちにレオが取りまとめていた。
ギルド運営陣とは対照的たいしょうてきに、リナとハンター達は顔色が良かった。取り分け、リナは寒さからも回復してすっきりした顔をしている。

重苦しい沈黙を破ったのは、ギルドマスターの低く、威厳のある声だった。
「まず、今回の未曾有の危機に際し、街のために戦ってくれた全てのハンターに感謝する。特に、リンダ、この場にいないが、ザ・ロイヤルズ、ゲイル率いる避難誘導隊…そして、客人であるリナ殿とウォルフラム殿。君たちの活躍がなければ、被害は甚大だっただろう。ザハラを代表して、心から礼を言う」

彼はそう言うと、深く頭を下げた。
リンダは腕を組んだまま静かにうなずく。

「それで、街の方の被害状況じょうきょうはどうだったんだい?」

彼女は外で戦っていた為に、当然の疑問だ。ウォルフラムにとっては緊張の瞬間しゅんかんだった。
レオがいち早く答える。

「それについては僕から。建物は多く崩壊したものの、一般人もギルド運営陣も含め、死者はゼロ。軽傷者が多数といった、災害規模に対してかなり少ない被害に抑えられています。これは元々ハンター界隈で支持者の多いゲイルさんが、初期段階で現場に居合わせ、迅速に動いたことがかなり大きいです。彼が率いるのは機動力に長けたゲッコー部隊ですからね」

ゲイルは澄ました顔で腕を組んで聞いていたが、おそらく内心では少し照れている。

「うむ。しかし、問題は今回の襲撃の質だ。我々ザハラのハンターは、この砂漠さばくの『モンスター』への対処には慣れている。だが、あの仮面の男…報告書によると、フェインとか言ったか。奴が使ったのは、我々の知る魔法とは全く異質の力だった。」

ギルドマスターは、テーブルの一点を見つめたまま続ける。その声には、長としての深い疲労が滲んでいた。
「正直に言えば、俺も『魔法使い』などというのは、歴史書の中でしかお目にかかったことのない、おとぎ話の存在だと思っていた。リナ殿、君も奴と同じ『魔法使い』だそうだな。単刀直入に聞く。あの力は一体何だ? 我々が知る回復術などとは、明らかに次元が違う」

全ての視線しせんがリナに集まる。彼女が口を開く前に、隣に座っていたレオが身を乗り出した。
「マスター。リナさんの故郷こきょうの魔法は、我々が使う『特定の用途の呪文』とは根本的に体系が違うようです。我々は用意された魔法を使っているだけ…。対して、魔法使いは望む現象を自在に構築する力を持っている。我々が武器や道具を作るように、彼女たちは魔法そのものを作ってしまうんです…!」

レオの比喩的な説明を受け、リナは静かに、しかしはっきりとした口調で続けた。
「レオさんの言う通りです。しかし、前提としてご理解いただきたいことがあります。全ての魔法には、実は術式があるんです」

リナは会議室を見渡すと、壁にかけてあった手頃なアックスを見て、杖をかざした。するとアックス一瞬いっしゅんバチっと電気を散らす。

「それは電気系のモンスターが素材なんですね。魔力まりょくを元に発電する術式が、その肉や骨に染み付いているようです。皆さんはこの術式に魔力まりょくというエネルギーを注ぐことで、無意識むいしきにそれを使っています」

リナは説明を続けた。
「ウォルフラムさんのように血筋による魔法や、自然界のモンスターの力は、特定の術式が肉体や魔力まりょく自体に組み込まれ、一体化した力です。感覚かんかく的に力を振るう者ほど、私たちが式を読み解くのは難しい、アナログな形と言えます。一方、皆さんが『魔法使い』と呼んでいる私たちが使うのは、計算された式を意図的に組んだ魔法です。これを私たちはオンとオフのような、シンプルな記号を基礎として、無限に組み合わせて作り出しています。つまりは…式を持たない純粋な魔力まりょくというリソースさえあれば、計算によって殆どなんだって実現可能な、汎用的なものなんです」

そのあまりに規格外な説明に、ゲイルたちが呆気あっけに取られて言葉を失う。その時、それまで黙って聞いていたウォルフラムが、歴史書の一節を諳んじるように、静かに口を挟んだ。

「なるほどな。その神のような汎用性の高さ故に、大昔、各方面から力を求められ、戦争や拉致の被害が多発したという記録が残っている。…もっとも、今となっては伝承の域を出ない話だがな」

彼の言葉が、リナの説明に恐ろしいほどの現実味げんじつみを与えた。司令室の空気が、さらに重く張り詰める。
ギルドマスターは、全てを理解したようにゆっくりうなずいた。その瞳には、苦渋の色が浮かんでいる。

「…ふむ。つまり、今回の敵は『モンスター』ではなく、それ自体が『歩く災害』。そして、その災害は…」

彼の鋭い視線しせんが、真っ直ぐにウォルフラムを射抜く。
「残念ながら、君という存在に引き寄せられているそうだな。上げてくれた報告書を信じよう。君がいる限り、第二、第三のフェインがこの街を襲う可能性は否定できん」

一瞬いっしゅんの沈黙。誰もが、ギルドマスターが次に何を言うか悟っていた。彼はゆっくりと席を立ち、二人に向かって深く、深く頭を下げた。

「…すまない。街の長として、苦渋の決断をせねばならん。君たちをこの街に留めておくことはできない。ザハラは、『モンスター』とは戦えるが、おとぎ話に出てくるような『魔法使い』と戦争をするための街ではないんだ」

それは、街を守るリーダーとしての、痛切な願いだった。リナもウォルフラムも、その意図を理解し、静かにうなずく。元々、長居をするつもりはなかったのだ。少し急がされたところで問題はない。
ウォルフラムが席を立とうとした、その時だった。

「お待ちください、マスター!」

叫んだのはレオだった。彼は必死の形相でテーブルに手をつき、ギルドマスターに食ってかかる。
「彼らを今行かせるわけにはいきません! リナさんの知識と技術があれば、我々が長年抱えてきた食糧問題を根本から解決できるかもしれないんです! 楼蝸牛ロウマイマイの『事象反転』の応用研究けんきゅうは、この街の未来そのものなんです!」
「レオ…。しかし、未来の前に、今の街が滅びては元も子もないのだぞ。このザハラは元々、数あるギルドの一つ、戦うための拠点だが、その維持のためには生活を支える非戦闘員も多く抱えている。」

「時間はかかりません! あと数日…いえ、一日だけでもいい! どうか、どうか彼女の力を貸していただく時間的猶予を…!」
研究者けんきゅうしゃの魂からの叫びが、司令室に響き渡る。

「……三日、やろう」

ギルドマスターは静かに決断を下した。



会議は昼前に終わった。ギルドの運営陣はもう体力の限界で、ほとんどが引き継ぎをして帰っていった。
レオには仕事があった。会議の中で、アンデッドの残骸ざんがいについては納品場に集約して、レオの判断で処分されることになったのだ。既に力のあるハンター達が街の至る所から、納品所へ死骸しがいを運んできている。リナはその中から農場計画に使えるものを探しに、一緒に来ていた。

「レオさん、ある程度私が仕分けを指示してからレオさんへ確認するので、是非休んでください」
元気の有り余っているリナが、タスクを買って出た。

「良いのかい? 正直もうクタクタだから助かるよ。じゃあ、マリアを君の補佐に」

レオが言うと、以前研究所けんきゅうじょにいた彼の後輩、マリアがぺこりとお辞儀をした。

「またお会いできて光栄です」
マリアはにっこりリナへ挨拶あいさつすると、隣のウォルフラムをチラリと見て頬を染めた。しかし彼の消耗しきった顔にすぐ気づく。

「ウォルフラムさん…ですよね? お疲れに見えますが、あなたも休まれては?」

そう言いながら、彼女は次にレオの顔色を伺う。
「ああ、簡易な仮眠できる場所はあるよ。ソファかラグの上になっちゃうけど。一緒に来るかい?」
レオも誘ったが、ウォルフラムは安易に眠れない。リナと離れて寝てしまい、万が一にも魔神まじん化するなど、この街中であってはならない。ただでさえ、今まで以上に胸の内で黒いものがざわついている感覚かんかくがある。

「いや…俺は、いい」

リナは無言でウォルフラムを見ていた。

「……なんだその真顔は。ああ、確かに昨日多少寝付きが悪かったが、そのくらい平気だ。わかるだろう」

リナと契約するまで、彼は何日も寝ていなかったのだ。(一日くらい問題ないと、お前は知っているだろう)そういうニュアンスの言葉だった。
リナはしかし、小声で返す。

「外傷はなくてもあなたは大きな精神攻撃こうげきを受けています。限界は早めに申告してください。アレが出てきたら困りますからね」

昼の容赦ない日差しが傾き始めた頃、再び出てきたレオにリナは言った。
死骸しがいの状態を三段階に分けました。こちらはまだゴーレムとして使えそうな、一番質のいい素材です」

レオは二十体程の山を見て、「問題ない」とうなずく。
「そしてこちらはゴーレムには使えませんが、魔結晶の核や肉体の素材が武器や魔法へリサイクルできそうなもの」

次にリナが示したのは、倍の量になった死骸しがいの山だった。レオは少し時間をかけてその周りを一周して確認する。
「さすがリナさん。この仕分けで良さそうだ」

そして最後に、無数に積み上げられた、スクラップ場のような死骸しがいの山を見る。
「あれは…使えなさそうだね。全部処分するのが大変そうだ…」

リナはうなずいた。
「ええ。こちらに集めた方は腐敗が酷くて魔力まりょく源や素材にはなりません。ですが、細かくして発酵させて肥料にしちゃいましょう!」

「ああ、なるほど。いい方針だけど……どうやって?」

その言葉を受けて、リナがさそりのゴーレムの背をポンと叩き、「お願いします」と言う。
次の瞬間しゅんかん、シャシャシャシャシャッ!とまるでミキサーのように、さそりがものすごい勢いで死骸しがいを刻み始めた。

「キャアアアア!」

あまりにグロテスクな光景こうけいに、解剖に慣れているはずの研究けんきゅう職員マリアが、涙ながらに悲鳴を上げる。
レオは持っていたバインダーを後ろ手に回し、そっと彼女の視界しかいを防ぎながら、その光景こうけいを前に呆気あっけに取られていた。
(な、なんてものを平然と…!しかし、この処理速度と効率は…!非人道的だが、合理的すぎる…!)
ウォルフラムは、相変わらずのリナの奇行に、ため息をつくばかりだった。

「さて、夕方が迫ってきていますが、さそりさんの処理はまだ時間がかかります。レオさんが事前に目をつけていたという、オアシスに手頃な植物の採集に行きましょう。」

リナが両手をぽんと合わせて提案した。レオは目を丸くする。
「い、今から? 夜になってしまうよ」

大丈夫だいじょうぶですレオさん!飛竜でもトカゲでもいいので、ゴーレムで移動すればあっという間ですよ!いただいた座標から計算した移動時間は、トカゲさんの場合で片道十五分です!」

一息おいて、レオとウォルフラムを交互に見ながら、小さく補足する。
「私のシューティング・スター(ほうき)なら…、一分で着きますけど、三人乗りはちょっとね…」

道中、結局トカゲに乗ったのはウォルフラム一人だった。レオも最初はウォルフラムの後ろでトカゲに乗っていたが、地上はモンスターとの遭遇率が高く、何度も襲われたのだ。
小さなものから大きなモンスターまで、ウォルフラムがレオをヒロインのように庇いながら一瞬いっしゅんで倒してしまうのだが、レオの心臓しんぞうが持たない。彼にとってはある意味、モンスターだけでなくウォルフラムも怖い。

「り、リナさん…僕の心臓しんぞうが止まりそうだよ…」

との声を受け、レオはリナがほうきに乗せることにしたのだった。

「なるべく低空飛行するので、砂に落ちても平気ですけど、しっかり私に掴まって離さないでくださいね」

とはいえ普通の人間は飛ばないのだ。レオは自分が情けなくなりながらも、自身の年齢の半分以下の少女の腰に、ふるえながらしがみつくしかなかった。
あっという間で、レオにとっては永遠に感じられた移動が終わり、オアシスへ着いた。

「わあ、砂漠さばくのオアシスを見るのは初めてです!」

吐きそうなレオとは対照的たいしょうてきに、リナがキラキラと目を輝かせている。

「あ!これは何でしょう?」
「ヤシだ」
「これは?」
「サボテンだ。何度か見てるだろう」
「これは!」
「蜘蛛だ。おい、触るな。毒だ」

レオの目の前で、走り出す子供をウォルフラムが追いかけていた。
(ああ、何となくわかっていたが、彼も大変なんだな…)

レオは前々から計画を夢見ていたこともあって、どこに何があるのか大体把握していた。
「ここに来るにはハンターを数名雇って一日がかりだったんだ。日焼けもせずに辿り着くとは思わなかったよ」

会話を交えながら、リナに収集品を渡していく。
「麦、アトラ豆、これはアトラトルベリー」

リナは魔導書まどうしょにそれらを保管した。それから池の水に杖を向けると、光る杖の先で水に直接魔法陣を描いた。少し時間を要し、彼女は立ち上がって魔導書まどうしょを開く。

「”物理インプット”」

すると描いた水上の魔法陣から、魔導書まどうしょに向けて大量の水がクジラのように飛び出して吸い込まれていった。

「本当に便利だね。大きなモンスターも採集した植物も、高い品質で保存できて嵩張かさばらない。君たちは本当に規格外だよ」

「そうですか? 私は故郷こきょうじゃ魔力まりょくに恵まれてなくて、どちらかというと魔法では落ちこぼれな才能なんです。本当なら、水にわざわざ魔法陣を描く必要ひつようも無い…」
リナは褒められて喜びながらも、困ったような笑みを浮かべていた。

夕焼けの中、三名はザハラの研究所けんきゅうじょへ帰ってきた。
「お帰りなさい…」

最早もはや土に還ったアンデッド(だったもの)の山を目に入れないようにして、マリアが具合悪そうに出迎えた。さそりは細かく刻んだそれを、ザハラの砂に混ぜてちょうどいい具合に調整していた。

「あの土で、畑を作るのですか…?」
青ざめたままのマリアがレオとリナに向かって声をしぼす。

「ええ!これで素材は何も無駄にはなりません!いつだって屍の上に食が成り立つのですから!」
リナは意気揚々いきようようとキラキラした笑顔で満足げに答える。

「やっていることが文字通り過ぎるけどね……」

理解を示しつつもレオは困惑していた。その時。
ぐぎゅるるるるる。
笑顔のままのリナの腹が鳴った。食糧問題は常にザハラに付きまとい、彼らはその日、昼にパンを一切れ食べたのみなのだから当然だ。

「リナさん、道中、モンスターを狩ってましたよね。ギルドの厨房で調理しますか?」
レオが気を利かせてくれた。リナが笑顔を返す。

「ありがたいです!是非…」
「待て。そいつにさせるな。俺がやる」

ウォルフラムが途中で割って入った。リナにさせると、ろくな事にはならない。

「え……ああ、そうですか?」
「…お前たち研究者けんきゅうしゃは、仕事が山積みなんだろう」
戸惑うレオに、それらしい言い訳をする。

「では、私が厨房まで案内しますね」
マリアが酒場裏の厨房まで案内してくれた。素材はリナが持っているので厨房に着くなり彼女は魔導書まどうしょを開いてウォルフラムと相談した。

「これとこれを使おう。肉ばかりなのは仕方ないな」
「わかりました。召喚しょうかんします」

パアッと目の前が光り、大きな魚のような砂竜、ダチョウのようなモンスターが厨房の一角を埋める。マリアは黙って興味津々に見ていた。

「オアシスで汲み上げた水は、既にギルドの貯水槽に入れました。レオさん曰く、すぐ浄水されて水道から使えるらしいです。楼蝸牛ロウマイマイの応用術式が完成すれば、オアシスまで危険を冒して足を運ぶ必要ひつようもないんですけどね…」

貴重な水も調理に使えることを伝え、リナは去って行った。ウォルフラムにだけ、去り際に小声で残す。
「近くが良いはずなので、酒場の卓上でレオさんと設計作業をします。異変があればすぐ呼んでください」

リナが去った後は、ウォルフラムとマリアが厨房に残された。
慣れない場所に、どこか居心地悪そうに周囲しゅういを見回す彼に、マリアがおずおずと一枚のエプロンを差し出す。

「あ、あの、ウォルフラムさん…。よろしければ、これ…」

ウォルフラムは無言でそれを受け取る。だが、いざ着けようとして、その腰紐をどう結ぶべきかしばし動きを止めた。鎧や戦闘服の装着とは全く違う、その単純な構造が、逆に彼の理解を超えていた。
(え…?もしかして、着方が…?)
何故エプロンが着れないのかマリアにはさっぱりだったが、とにかく手伝わなければならないようだ。

「あの、もしよければ、私が…」
「……チッ」

気まずそうに舌打ちし、彼は黙ってマリアに背を向ける。それが肯定の合図だと察したマリアは、緊張しながら彼に近づき、その背中せなかでエプロンの紐を結んだ。間近に感じる彼の体温に、マリアの心臓しんぞうが小さく跳ねる。
(エプロン姿も、素敵…)
結び終えて離れた彼女の視線しせんに気づいたのか、ウォルフラムは咳払いを一つして、彼女の感傷を断ち切るように本題を切り出した。

「……物が何処にあるかだけ教えてくれればいい。あとは俺がやる」

彼の思考しこうは、既に食材の検分と調理手順の構築に移っている。
(フェインのような敵がいるとわかった以上、他人が調理したものに、何か仕込まれないとも限らんからな…)
「は、はい!包丁はそちらで、お鍋は…!」
慌てて案内を始めるマリアを背に、ウォルフラムはまるで戦場に赴くかのような真剣な眼差まなざしで、まな板に乗せられない大きすぎる獲物を見据えるのだった。

リナとレオは酒場のテーブルで、楼蝸牛ロウマイマイの殻にその肉片を乗せてガラスケースに入れたものを、紙に描かれた魔法陣の上に配置してああだこうだと話していた。
「この肉片を元に、反転の魔法を使うと、楼蝸牛ロウマイマイにとっての反対事象なのか、それとも術者にとっての反対事象なのか。私とレオさんで交互に発動させて確認しましょう。これはレオさんが以前言ってたように”言葉遊び”のような魔法です。つまり”事実じじつ”よりも”イメージ”によって結果けっかが評価されるんですよね」

「ふむ、水の反対のイメージ…僕だったら、やっぱり”火”かなぁ」
「私は”水”だといろんなことを考えてしまって…。雨の反対のイメージで”日照り”がしっくりきます」

リナはろう燭に火をつけて、実験素材のガラスケースの側に置いた。
「ではここにレオさんの方で魔法を発動させてみましょう。アンデッドから抽出した魔結晶を握って魔法陣へ流すイメージしてください。ザハラの武器にも使われてるのでレオさんもご存知と思いますが、魔力まりょくを持たなくても電池のように使えますから」
レオが頷いて集中する。目を閉じると魔法陣から光が放たれ、ろう燭の火がジュワッと水に変わって辺りを少し濡らすと、煙の匂いが広がった。

「レオさんのイメージは通りましたね。次に私もやってみます。楼蝸牛ロウマイマイのイメージに引きずられるなら、結果けっかに差分は生まれないはずです」
リナが同じように試す。
ボンッ、と先程より大きな白い煙を上げて火が消えた。リナが冷静れいせいに解析する。

「私のイメージから、少しの、ドライアイスを作ってしまったようです。火の熱いイメージが、極寒に反転して空気が液状化してすぐ消えたんだと思います…」
リナが顔を上げた。
「つまり、術者のイメージが反映される。なら、術者の腕次第で大きい効果が得られますね。レオさん、あなたのイメージ力にかかってますよ」

楽しそうなリナの言葉を受けて、レオは少しプレッシャーを感じていた。
程なくしてウォルフラムとマリアが皿や料理を運んできた。酒場は昨日の騒動で休業しているため、四人の貸切状態だった。

「冷めないうちに食べろ」

初めてちゃんとした調理器具や香辛料のある環境でウォルフラムが作った料理は、リナがそれまでに知ったものとは違って見えた。
二人旅の時にも作ってくれた魚のスープ、チキンの照り焼き、そして一昨日リナが同じ酒場で食べたような串焼き。比較的手に入れやすいサボテンの肉巻きなど。

「ありがとうございます!」

リナは知る料理も知らない料理も構わずパクパク食べた。ウォルフラムが盛り付けるのは大皿ではない。一人ひとりにいくつも皿が用意され、酒場の雰囲気ふんいきとはどこかバランスが悪かった。リナが串焼きを頬張って、以前に食べた酒場の料理を思い出す。

「美味しい…!ウォルフラムさん、これ、一昨日ここにあった料理じゃ…。どこでレシピを…?」

驚いて尋ねるリナに、ウォルフラムはこともなげに答える。
「味や匂いから、使ってそうな材料を合わせただけだ。調理工程は考慮していない」

「匂いで…わかるんですか?」
「……毒避けの訓練のせいだ。兄上はもっと鼻が効いた。」

彼はリナの驚きの表情には構わず、黙々と自分のスープを口に運ぶ。
「お前も、今後は食事の毒にも警戒しろ」

小さな声で彼が言ったそれは、平和な狭い故郷こきょうに閉じこもっていたリナの知らない概念だ。彼女はきょとんとした顔でスープをすすっていた。


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