20話 狼煙に集う英雄

意識を刈り取る闇へと、ウォルフラムの身体が吸い込まれていく。
落下していく彼の腕を、リナは必死に掴んだ。しかし、その刹那。
「――邪魔です」
フェインを乗せたボーン・ワイバーンが黒い影となって急接近し、その無骨な脚でリナの脇腹を容赦なく蹴り飛ばした。
「ぐっ……!」
衝撃で息が詰まる。まだ冷たいままの自分の腕から、繋ぎ止めていたはずの温もりが、あっけなくすり抜けていく。
ワイバーンの鉤爪はそのままウォルフラムの体を捕らえると、リナから素早く距離を取った。
(彼を、持ち帰る気!?)
その意図は、リナにとって完全に予想外だった。今まであれほど殺意をむき出しにしていたのは、弱らせて捕獲するためだったというのか。
すぐさま体勢を立て直し、フェインを追う。仮面の芸術家は面倒そうに振り返った。
「ここで、わたくしは手を引くつもりです。街のアンデッドも消えます。あなたに、彼は必要ないでしょう?」
彼さえ渡せば、これ以上の被害はない。そういった意味の、悪魔の囁きだった。
どこからかメンフクロウが音もなく飛来し、フェインの肩に止まる。
(偵察用の使い魔…?データと一緒に、彼を連れて帰る気満々ということね)
リナは青白い顔のまま、しかし瞳だけは強い光を宿して言い放った。
「生憎、私の契約者なので。任務は最後まで遂行するのが、私のプライドです」
「面倒な」
フンと鼻を鳴らし、フェインが指揮棒を振るう。
「『死の舞踏』!」
再び空間に五線譜が現れ、無数の白い霊体が凍てつく冷気を纏いながら飛び出した。
「ついさっきまで、霊たちを前に何も出来なかったでしょう。そうまで望むなら彼と一緒に連れて行って差し上げますよ。凍死した後かもしれませんがね!」
霊体が舞い、リナを取り囲む。彼女は静かに目を閉じた。
(私だって、ただ倒れていただけじゃない)
次の瞬間、ビュッ。複数の霊体が、まるで幻影を掴むかのように彼女の身体をすり抜けた。リナは動かず、ゆっくりと目を開ける。
「解析、100パーセント。契約回路ハッキング成功」
霊たちに、バグのようにポリゴンのノイズが走る。
「チッ…。間に合わせましたか」
フェインが初めて苛立ちの滲む声で舌打ちした。
「内部破壊を強制発動――“運命”!」
ダダダダーン、と不協和音が響き渡る。霊魂が内側から爆ぜるように消え、フェインが手にしていた魔導書のページがバラバラと風に舞い、宙で焼き切れた。同時に、リナの背に生えていた熊蜂の羽も役目を終え、光の粒子となって消えていく。
「なんと…。わたくしの技で、わたくしの契約を破壊しましたか!」
霊魂の守りを失ったフェインに、リナが箒に乗って最速で接近する。サーフィンのような立ち乗り運転で敵の懐に一瞬で詰めると、アクロバティックに腹部を狙って蹴りを放った。
「!?」
ドッ。フェインは咄嗟に腕で受けるが、その衝撃に体勢を崩す。リナは箒の柄で更に高い位置に両脚を運ぶと、フェインの横顔に寸分違わず横蹴りを叩き込んだ。
バシンッ、と乾いた音が響く。
すかさず、ワイバーンの頭部へ向けて、リナは更なる一手を放つ。
ドスッ。
頭上を飛んでいた箒が、まるで意思を持った槍のように、雷の速度で突き落とされたのだ。
ワイバーンが、そのダメージからウォルフラムを捕らえていた鉤爪を緩める。
再び落下を始める彼を追って、リナもまた、迷わず空へと身を投げた。
フェインは蹴られた頬を押さえ、仮面の位置を直しながらその様子を冷ややかに見下ろす。
「今の攻撃は、想定外でした…。重さは無いが、あの見た目であれほどの体術を使うとは。いやしかし、二人で落ちる気ですか?見ものですね」
途中で箒が追いつき、リナは宙でそれを掴んで跨ると、さらに加速する。ウォルフラムの腕を掴むが、落下する彼の体重は彼女にはあまりに重い。自分が箒からずり落ちそうになり、必死さから思わず言葉が砕けた。
「くそっ、上がれ!!」
虚勢で保ってきた体力が、限界に達しようとしていた。
その時、地上からダダダダッと獣が駆ける音が響いた。
「手を離せ!俺が受け止める!」
聞いたことのある声だ。
ゲッコー、疾風丸で大きく跳躍した、ゲイルだった。リナは咄嗟に彼を信じてウォルフラムの手を離すと、何とか地面に激突しないよう必死に減速する。
ゲイルは空中でウォルフラムの体を受け止め、疾風丸は瓦礫を踏み台に見事に着地する。
しかし、高い場所から二人分の重さを背負って降りてきた勢いは殺しきれず、ダダダッと地面を数歩駆けると前のめりに倒れ込んだ。
ゲイルはウォルフラムを抱えたまま、二人で砂の上をごろごろと転がる。不器用な着地だったが、鍛えられた肉体を持つ二人やゲッコーには、大したダメージはなさそうだった。
フェインは想定外の助っ人の登場に、ザハラという街を侮っていたと悟る。
「なるほど。伊達にハンターの街ではないんですね。地上のアンデッドモンスターもほとんど制圧されている…」
彼は不快そうに呟くと、満身創痍のリナに急接近した。
「本命は彼だったのですが、どうやら彼の大事なキーのようですし、貴女で我慢します」
ワイバーンがリナを掴もうと鉤爪を開く。彼女は寸前で避けたが、掴み損ねた爪が頬と脇腹を浅く切り裂いた。
「っ…!」
血が滲み、痛みに小さく息が漏れる。
「おや、さっきに比べてずいぶんと美しくなったじゃないですか」
フェインが笑う。リナは青い顔のまま、雑に血を拭って強気に睨み返した。
「舐めないで…!」
「虚勢を」
フェインが指揮棒を振るう。
「”骸のフーガ”!」
彼の次の魔法は、今までウォルフラムが切り落とした飛竜のアンデッドたちを光で包んだ。その死骸は形を変え、翼を残したまま、人型のスケルトンとなって再び空へと舞い上がる。今まで屠ってきた無数の屍が、再び牙を剥こうとしていた。
しかし、フェインの周囲に、エラーを知らせるかのように光る文字列がビビッと現れ、ボッと小さな爆発を起こした。
「これは…!」
何かを悟ったフェインに、リナが杖を翳す。
「私のハッキングが、音の精霊との契約を破壊しただけだとお思いですか?」
リナの瞳が光った。
「『トロイの木馬』!」
彼女の呪文はフェインの魔法を上書きするかのように、残った飛竜のアンデッドの残骸を黒い光に包み、同じく翼を残したままの、黒い馬に跨る騎士の影を顕現させた。
「『トロイの木馬』…相手の魔法を汚染して自分の技とする術式…。意外と悪くないセンスですね」
フェインが上から目線に評価する。
戦場は一気に乱戦となった。数はスケルトンが五十余り。対して黒い影のような騎士は八体。スケルトンが圧倒的に多いが、影の騎士は同じく影の剣を武器として奮っている。「数」対「質」の戦いだ。
スケルトンのターゲットはもちろんリナだが、束になって突破口を模索するスケルトンに対し、少数精鋭の黒騎士が進行方向を妨げ、それぞれが一気に数体を薙ぎ払っていった。
しかし、急にピタッと一体の黒騎士が動きを止める。それを数体のスケルトンが取り囲むと、黒騎士は内側から崩壊するように分離し、四体のスケルトンに変貌した。
フェインが指揮棒を構えていた。仮面の奥で瞳が光る。
「術式更新。わたくしの魔法を返してもらいます」
黒騎士の数が減ってスケルトンになった箇所から、守りが消えて十数体がリナに襲いかかる。しかしまたもやピタッと止まる。リナの瞳も魔法陣を映して光り、杖を構えていた。
「術式更新。あなたがどう対応しようと、わたしはまた解析を追いつかせる…!」
十数体のスケルトンが消え、三体の黒騎士が現れてリナ側についた。
彼らは魔法のハッキング戦争で、何度も駒を奪い合った。
盤上の様相が、目まぐるしく変わっていく。フェインが黒の駒(黒騎士)を白(スケルトン)に塗り替えれば、即座にリナが周囲の白を巻き込んで黒へと染め上げる。それは、互いの思考の速さと深さを競う、音のないオセロだった。一手で戦況が覆る、息の詰まるような盤上の支配権争い。リナの瞳に映る魔法陣は、刻一刻と変わる盤面を、猛烈な速度で読み解いていた。
(何が起きている…?)
地上のゲイルが空を見上げる。そこにはリナを守る黒騎士と、翼の生えたスケルトンがぶつかり合いながら、その数が増えたり減ったりを繰り返している。
虚な瞳で動かないままのウォルフラムは、ゲイルの手によりゲッコーに背を預けていた。
「おい!起きろビギナー装備!何があったのかは知らねえが、彼女を一人で戦わせる気か!?」
しかしウォルフラムの反応は無く、何も聞こえていないようだった。
「チッ」
ゲイルは舌打ちすると空を見上げた。
(ザハラがモンスターの死骸に襲撃を受けた元凶は、恐らくリナちゃんが戦ってるアイツで間違いないだろう。ならば俺たちハンターからしても敵だ。しかし、この戦況…知らない次元過ぎて訳がわからん。どう手を出したものか…)
ゲイルは戸惑いながら、今度はウォルフラムの肩をゆすると、静かに宣言した。
「おい、お前がここで何もできないような奴ならそれでもいい。俺はあの仮面の奴を空から引きずり降ろす。疾風丸は連れて行くぞ」
ポンポン、とゲイルが疾風丸の背を叩くと、疾風丸は自身にもたれかかっていたウォルフラムの首襟を捕まえ、瓦礫の側にそっと寄せた。これにより、ウォルフラムの死んだ瞳が空を向いた。
その、刹那。
「うあっ!」
空でスケルトンの腕がリナを掠めた。脇に受けていた傷にヒットして血が散り、彼女の箒がバランスを崩す。
ウォルフラムは、ぼうっとした意識の中で僅かに思考が働いた。
(兄上と同じだ…。俺を諦めないばかりに…)
途端に、ウォルフラムの瞳に光が戻った。
「リナ!」
ガバッと体を起こすと疾風丸を押し除けて立ち上がった。ゲイルは振り返り一瞬目を見開くが、腰から小さなピストル状の筒を取り出しながら声をかけた。
「やっと起きたか。彼女の加勢に行くぞ。俺と疾風丸に乗れ」
言うが早いか疾風丸に飛び乗る。ウォルフラムは初めてゲイルの存在をはっきりと認識したが、迷う間もなく黙ってその背に乗った。
「仮面の男に届くのか?」
疾風丸の背でウォルフラムが問う。
「俺たちハンターが、空のモンスターに対抗する術が無いとでも思うか?」
ゲイルがピストルのようなものを空に打ち込むと、バスッ!と大きな音を立てて閃光が空に飛んだ。そして、上空で花火のように弾ける。
フェインがゲイル達に気づいた。
(何事ですか…?)
すると煙の中で、フェインのワイバーン、スケルトン、そしてリナの黒騎士が、ゆらゆらと高度を下げていった。
「香煙弾だ。大抵の飛竜はこれで高い高度を維持出来なくなる。仮面の男が乗ってるのはモンスターだろう。その辺飛んでるガイコツにも効くとは予想してなかったがな」
ゲイルは疾風丸を駆り、ザハラの建物、瓦礫、街を覆う竜骨の一部を踏み台にして、空へと駆け上がっていく。
リナの方は、ふらつきながらも体勢を立て直していた。
(危なかった…。花火のような何かで、モンスター達のコントロールがブレて助かった。あれが無ければ、捕まってた。確かゲイルさん…彼がやったのね)
チラリと地上を見ると、ゲッコーで駆けるゲイルと、その後ろにウォルフラムの姿があった。
(嘘。起きたの?この短時間で?)
フェインもまた、二人の姿を見つけて同じように驚いていた。
(あの少年…。完全に術に堕ちたはず。復帰が早すぎる…)
ゲッコーに乗って何を会話しているかは聞き取れないが、作戦があるのだろう。
「……ここまで届く攻撃を準備しているのでしょう。三対一か…。残念ですが、潮時ですかね」
フェインの言葉に、ワイバーンは向きを変える。ザハラの外、どこまでも砂が広がるアトラトル砂漠へ。
しかしワイバーンは煙の匂いにやられて、高度を上げることが出来ない。
ドドドッ。
地上からゲッコーが跳躍し、その背から更にウォルフラムが飛んできた。
ドンッ。
フェインを乗せていたワイバーンが、魔剣に両断された。
落ちていくフェインは、薄く笑っていた。
「もうデータは、十分取れました。また次の舞台でお会いしましょう。」
そう言うと、傍にいたメンフクロウを起点に羽根が飛び散り、後にはフェインの姿は消えていた。
