14_想定外の出力

灼熱の太陽が照りつける砂漠の街「ザハラ」での夜が明けた。

前日に交わした約束通り、リナとウォルフラムが泊まるギルド運営の宿屋に、朝から威勢のいい声が響き渡る。
訪ねてきたのは、昨日モンスター討伐の依頼を競い合ったハンターチーム「ザ・ロイヤルズ」の一行だった。

「よう、嬢ちゃんたち!約束通り、ザハラの案内は俺たちに任せとけ!」

リーダーのレックスが、ニカッと歯を見せて笑う。
その隣では、デュークとバロンも腕を組んで立っていた。

「皆様、おはようございます!わざわざありがとうございます!」
リナは満面の笑みで彼らを迎え入れた。

こうして、一行の奇妙なショッピングが始まった。
活気あふれる市場を抜け、武器屋や道具屋を巡っていく。
リナは新しい地図や旅の装備を熱心に吟味し、レックスたちは地元のハンターならではの視点でアドバイスを送った。

その間、ウォルフラムはただ黙って、彼らの数歩後ろをついて歩くだけだった。
全身を覆うビギナー向けの甲冑は、ハンターの多いこの街では珍しくないものの、商店が立ち並ぶ通りではわずかに浮いて見えた。

やがて、リナは何かを思いついたように、レックスたちに向き直った。
「すみません、皆さん。以前にリンダさんと行ったことがあるんですが、武器加工屋さんに案内をお願いできませんか?職人さんと話したいことがあるんです。」

ザハラ最強のハンターであるリンダの行きつけは有名だった。レックスたちが断るはずもない。
「おう、いいぜ!」「あのオヤジんとこか、任せとけ!」と、彼らは快く胸を張った。

リナは三人を促すと、ウォルフラムの方を振り返る。
「ウォルフラムさんはまだ必要な買い物が多いと思うので、ここで。お昼になったら、ギルド近くの食堂で落ち合いましょう」
彼は短く「…ああ」とだけ応えると、リナたちが人混みに消えていくのを見届け、足早に雑多な品を扱う店へと姿を消した。

正午過ぎ。
約束通りギルド近くの食堂で待っていると、レックスがぎこちない東方共通語でリナに尋ねた。
「しかし、なんであいつはまともな服も持たずに旅をしてるんだ?」

「あー…えっと、ここに来る前に、モンスターに荷物をダメにされちゃったんです」
リナは少しだけ目を泳がせながら答えた。
完全に嘘というわけではないのが、我ながらうまい言い訳だと思う。

その答えを聞いてか聞かずか、デュークが興奮したように口を挟んだ。
「なあ、あの甲冑の中身、絶対スゲェごついオッサンだよな!顔中傷だらけのさ!」
彼の純粋な予想に、レックスも深く頷く。
「ああ、違いない。あの腕っぷしは、そこらの若造に出せるもんじゃねえ。リンダの姐さんみたいに、歴戦の猛者って感じだ」
それは、自分より強い相手であってほしい、というレックスなりのプライドからくる願望でもあった。

しかし、黙って聞いていたバロンが、静かに口を開く。
「……いや、どうだろうな」

「あ? なんだよバロン。お前、あいつがヒョロガリだとでも言うのか?」
レックスが不機嫌そうに睨むが、バロンは動じない。
「強ぇのは認める。だが、考えてみろ。あいつが着てたのは、俺たちでも知ってるビギナー装備だ。それに、言葉遣いが妙に丁寧すぎる。そこらのハンターとは明らかに違う。どっちかって言うと…」

バロンが言葉を続けようとした、その時だった。
食堂の入り口から、すっと一人の人影が彼らのテーブルに向かって歩いてくる。
ゆったりとしたフード付きのローブを身にまとった、線の細い少年だ。
一行が「誰だろう」といぶかしむ中、少年はリナたちのテーブルのすぐそばで足を止めた。
そして、彼女にだけわかるように、そっとフードの縁を引き上げた。

隙間から差し込む陽光が、彼の雪のように白い肌と、長いまつ毛に縁どられた繊細な目を照らし出す。
陶器のように滑らかな頬、形の良い唇。
それは、先ほどまでレックスたちが想像していた「傷だらけのゴツいオッサン」とは、あまりにもかけ離れた美貌だった。

「「「……誰?」」」
三人の声が、綺麗にハモった。

リナは待ってましたとばかりに、ぱっと笑顔を輝かせる。
「ウォルフラムさん!その服、とても似合ってます!」

レックス、デューク、バロンの三人は、あんぐりと口を開けて固まった。
目の前の美少年と、あの甲冑の主がどうしても結びつかない。
「う、嘘だろう……!ぜ、全然子供じゃねえか!お、男…だよな?」
レックスが混乱のあまり、失礼な確認をする。

「うおお……リンダの姐さんより綺麗だ…!」
デュークが感嘆の声を上げると、すかさずバロンが肘で小突いた。
「…お前、本気で言ってんのか? それ、姐さんの前で言ったら潰されるぞ」

「チッ、気に食わねえ!あんな優男に、俺が負けただと…!」
レックスは悪態をつきながらも、視線はウォルフラムから逸らせないでいた。

そんな彼らを横目に、バロンは「やっぱりな」と一人呟く。
「考えてもみろ。ビギナー装備にスラングも出ねえ教科書通りの言葉遣い…ありゃあ、ただのハンターじゃねえ。どこかのボンボンが家出でもしてきたんじゃねえか」

リナは西の言葉がまだわからないため、何やら盛り上がっている彼らの様子を不思議そうに眺めていた。
そんな中、当のウォルフラムは、じろじろと品定めするような視線に耐えかねたように、低い声で言い放った。
「うるさいぞ。人の顔を見て盛り上がるな」
その声は、紛れもなく甲冑の中から聞こえていた、あの不機嫌そうな声そのものだった。

「おお、確かにビギナー装備の声だ…!」
デュークが妙なところで納得し、ようやくその場の混乱は収束に向かった。

気まずさと驚きが入り混じった昼食をとった後、リナたちはレックスたちと別れた。

「さて、次はギルドの研究所に用があります!」
リナは休む間もなく、次の目的地を告げる。

研究所を訪れると、中から一人の男性が駆け寄ってきた。研究者のレオだ。
「リナさん!…と、そちらはウォルフラムさん、ですか…?来てくれたんですね!」
レオは、以前会った時とは全く違うウォルフラムの姿に戸惑いながらも、嬉しそうに二人を迎え入れた。

「はい!早速、例のレポートのコピーから取り掛かりましょう。ああ、あと、レオさんはザハラに農地を作りたいんですよね?働き手はいそうですか?」
リナは早速本題に入る。

「いいや、もし農地ができたとしても、しばらくは私が一人で運営することになりそうだよ」
レオが肩をすくめる。

「まだ気が早いかもしれませんが、ゴーレムを使ってみるのはどうでしょう?研究資材を運んだり、他のことにも役立てるかもしれないですし」
「ゴーレム?」
レオが聞き返す。

「はい。私の故郷の魔法技術なんですが、術者の魔力があまり無くても、魔結晶の核があるモンスターと、術者の知識さえあれば、適切な魔法式を組んで遺体を動かし、使役できるんです」

「そ、そんなことが…!?リナさん、それが本当なら君はとんでもない技術を持っていることになるよ!ひ、秘密にしなくていいのかい?」
レオは目を丸くして興奮する。

「秘密にする必要はないですよ。ただ、ほとんどの人は難しくて魔法式を自分で組めないんです。私の勘ですけど、レオさんもモンスターを介して魔法の研究をしているようですし、この式を理解して使えるんじゃないかと思って」

話が長くなりそうなのを察したレオは、手持ち無沙汰にしているウォルフラムに気づき、気を利かせる。
「ウォルフラムさんは、つまらないかもしれないが、そこの本でも読んで待っていてくれないか?」
ウォルフラムは無言で頷くと、近くの書架に向かった。

それからリナとレオは、まるで旧知の仲のようにゴーレムの理論について熱く語り合い、次に持ち込まれた楼蝸牛の生態研究へと没頭していった。
知的好奇心という共通言語が、二人を時間の流れから切り離していく。

どれくらいの時間が経っただろうか。
不意に、リナの大きな声が静かな研究所に響いた。
「ウォルフラムさん!ちょっと手伝って欲しいんです!私たちでは実験に使える魔力が足りなくて!」

ウォルフラムが顔を上げると、リナは彼の返事を待たずに続けた。
「ああ、ちゃんとウォルフラムさんにもメリットはあります!こちらの魔法陣に立って意図的に魔力を放出していただければ、ウォルフラムさんのハイブリッドな魔力から、私が今まで得たよりもずっと詳しいデータが取れるんです!これを解析して、ゆくゆくは…」

「いいから早くしろ」
長々と続く説明を、ウォルフラムの低い声が遮った。

「はい!ではこちらへ。楼蝸牛の反転技術を応用して、目の前のバケツに水を生成する実験です!」
リナは床に描き出した複雑な魔法陣を指し示した。

ウォルフラムは、何か嫌な予感を覚えながらも、しぶしぶ魔法陣の中央に立った。
リナの指示通り、体内の魔力を解放する。
その瞬間だった。

ボンッ!!

けたたましい音と共に、目の前のバケツから水が爆発するように溢れ出し、すべてウォルフラムに襲いかかった。
頭のてっぺんから爪先まで、一瞬にしてずぶ濡れになる。
滴る髪、体に張り付くローブ。彼の不機嫌さは、ついに頂点に達した。

「……リナ」
地を這うような低い声が、リナの名前を呼ぶ。その瞳は、怒りの炎で燃え上がっていた。

「ひいぃっ!」
レオは、いつ斬りかかられてもおかしくない強者の怒気を前に、顔面蒼白になって震え上がる。

その時、騒ぎに気づいた研究所の女性職員が、慌ててタオルを手に駆け寄ってきた。
「あ、あの、よろしければ、こちらを…」
彼女は、ずぶ濡れになったウォルフラムの姿を見て、思わずぽっと頬を染める。
そして、小さな声で付け加えた。
「その、濡れたままでも…とても、素敵ですけど……」

その囁きを、ウォルフラムの耳は聞き逃さなかった。
彼は眉間のしわをさらに深くすると、女性職員から乱暴にタオルをひったくり、苛立ちを隠さずにガシガシと雑に髪を拭き始めた。

そんな一連のやり取りが繰り広げられていることなど全く目に入っていないリナは、魔法陣から立ち上るデータの光を、食い入るように見つめている。
「なるほど、出力が不安定ですね…。ウォルフラムさんの強い魔力をほとんど調整できずに出力してしまいました。これは見直しの必要がありますね。…ウォルフラムさん、良いデータが取れました。ありがとうございます」
感謝の言葉を口にしながらも、その目は一度もウォルフラムの方を向くことはない。

レオは、ずぶ濡れで不機嫌な美貌の強者と、彼に明らかに好意を寄せる同僚と、それに全く気づかない恐るべき天才少女、というカオスな光景を前に、一人だけそっと胃を押さえるのだった。

その時、リナがハッと顔を上げた。
それまで魔法陣のデータに釘付けだった彼女の瞳が、初めてウォルフラムの姿を正確に捉える。
いや、捉えたのは彼のずぶ濡れの姿ではない。その奥で、ゆらりと揺らめいた微かな黒いオーラだった。

(まずい…!呪いが…!明らかに私の実験の失敗のせいだっ)

次の瞬間、リナは先ほどまでの研究者としての顔をかなぐり捨て、弾かれたようにウォルフラムの元へ駆け寄っていた。
そして、彼の冷たい手を何の躊躇もなく、両手で包み込むように強く握った。

「ウォルフラムさん、先ほどはすみません!私の計算ミスです!ですが、おかげで素晴らしいデータが取れました!これは世紀の大発見ですよ!」

突然の手のひら返しと、熱のこもった早口。
あまりの変わりように、レオも、タオルを渡した女性職員も、そしてウォルフラム自身も呆気に取られる。

しかし、ウォルフラムだけはその真意を理解していた。
怒りと苛立ちで胸の奥に渦巻いていた黒い衝動が、彼女の温かい手のひらを通じて、すぅっと浄化されていくのを感じたからだ。
彼は何も言えず、ただ気まずそうに視線を逸らす。

リナは、彼の呪いが落ち着いたのを確認すると、何事もなかったかのようにパッと手を離し、再びレオの方を向き直った。
「レオさん!今のデータを元にすれば、ザハラの農業計画は飛躍的に進歩しますよ!」

そのあまりにも自然な流れと、一連の行動の意味を全く理解できないレオは、ただ
(な、何だったんだ今のは…?)
と、目の前で繰り広げられる天才と強者の不可解なやり取りに、さらに胃がキリキリとしていた。

すっかり日の暮れた帰り道。
今日の出来事を反芻するように黙って歩いていたウォルフラムが、ふと疑問を口にした。
「お前、あいつと契約したほうが良かったんじゃないか?」

リナの契約目的は、ウォルフラムが持つ「知識」と「言語」のはずだ。
研究者であるレオは、その両方を高いレベルで備えている。
おまけに、ウォルフラムのように魔神化する危険もない。
どう考えても、自分より適任だろう。

その言葉に、リナは少し意外そうにきょとんと目を丸くした。
そして、悪戯っぽく笑って問い返す。
「ウォルフラムさん、もしかしてレオさんに、知識やスキルで”負ける”自信があるんですか?」

「……」
ウォルフラムは言葉に詰まった。
そんなことは微塵も思ったことがない。

リナは彼の沈黙を否定と受け取って、楽しそうに続けた。
「ほら、やっぱり自分の方が優秀だって思ってるんじゃないですか」

どうやら、彼の気遣いは全くの杞憂だったらしい。
リナは、旅の同行者としてウォルフラムがレオより優れていることを、疑いもしなかったのだ。
ウォルフラムはそれ以上何も言わず、ただ黙って前を向いた。

その夜、ギルドが運営する宿の一室で。
リナは借りた部屋のベッドに腰掛け、テーブルのランプを挟んで向かいに座るウォルフラムに声をかけた。
「ウォルフラムさん、今日の復習をお願いしてもいいですか?」
「……ああ」
それは、この契約の旅で始まった、二人だけの習慣だった。
リナは懐から小さなメモ帳を取り出すと、昼間の食堂での会話を思い出しながら尋ねる。

「レックスさんたちが話していた、『リーフゲルン(優男)』というのは、どういう意味だったんでしょうか?」
「『Lief (/liːf/)』は『優雅な』、『Gern (/gɛrn/)』は『男』を指す言葉を繋げたものだ。だが、あの男たちが使った時の響きには棘があっただろう。含みを持たせた言い方で、侮蔑の意図で使われることが多い」
「なるほど…!ありがとうございます」

リナはメモ帳に熱心にペンを走らせる。その生真面目な様子に、ウォルフラムは小さく息をついた。
「ただ単語の意味だけを覚えるな。すべての言葉には複数の意味と、使われる状況による文脈がある。次だ。発音してみろ」
ウォルフラムが指さしたのは、リナがメモした基本的な感謝の言葉だった。
彼女は深呼吸をして、習ったばかりの発音を試みる。
「ダンク・ヴェルト…?」
「違う」
即座に、冷たい否定が返ってきた。

「お前の発音は音が平坦すぎる。最後の『ト』はほとんど発音しない。喉の奥を震わせて音を響かせろ。『Dank-werd (/daŋk vɛʀt/)』だ」
「の、喉を…? うぅ…だんく、ゔぇ、ふぅ…」
リナは悔しそうに唇を噛む。王子としての英才教育を受けてきた彼の耳は、少しの訛りも見逃してはくれない。その指導は、まさにスパルタそのものだった。
しかし、彼女は諦めなかった。研究者としての分析能力を、言語学習に応用する。
(舌の角度、息の流量、唇の形…音の構成要素を分解して、再構築すれば…!)
数回の試行錯誤の末、彼女は一つの結論にたどり着いた。
「なるほど…!これは、音を出すというより、音節の切れ目に空気の壁を作るような感覚ですね!――Dank-werd!」

今度は、完璧な発音だった。

その淀みない響きに、ウォルフラムの眉が僅かに動く。
彼は一瞬だけ目を見開いて彼女の顔を見ると、すぐにふいと視線を逸らした。
「……まあ、及第点だ。覚えがいいのだけは、認めてやる」
それは、彼なりの最大の賛辞。
「本当ですか!? やった!」
リナがぱっと顔を輝かせたが、ウォルフラムは「調子に乗るな。今日の分は終わりだ。さっさと寝るぞ」とぶっきらぼうに言い放ち、ランプの灯りを吹き消した。
部屋が暗闇に包まれる中、リナは彼の言葉の奥にあるかすかな優しさを感じて、一人静かに微笑むのだった。

ーー場所は、アークライト帝国の王城の一室。
窓の外には、ウォルフラムたちがいる砂漠と同じ月が静かに輝いている。

部屋の主は、ヴィクター・ヴァイス。
彼は、一族に代々伝わる白銀の鞘の剣を、一心不乱に磨き上げている。
布が剣身を滑る、規則正しい音だけが、静寂に響く。

彼の脳裏に蘇るのは、数日前に伝え聞いた、信じがたい報せ。
敬愛するルーク様が、片腕を失ったこと。
そして、その犯人が、かつて友と信じたウォルフラムであるという事実。

(なぜ…なぜだ、ウォルフラム…!)

ギリ、と奥歯を噛み締める。
込み上げる怒りと、裏切られたことへの悲しみが、彼の心を焼いていた。
やがて、彼は剣を磨く手を止め、すっと立ち上がる。
磨き上げられた剣を腰に差し、部屋の扉へと向かう。

その瞳に、もはや迷いはない。

「ルーク様…。あなたの御心は、俺が晴らしてみせる」

小さな、しかし鋼のように硬い決意の呟きだけを残し、彼は夜の闇へと続く廊下へ、静かに姿を消した。
彼の旅もまた、今、始まったのである。


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