13_酒場の喧騒、静かなる発見
ウォルフラムたち二人と『ザ・ロイヤルズ』はギルドに戻り、外の受付で獲得物の登録をしていた。
毒にやられていたバロンはレックスの回復魔法で事足りたらしく、まだ少し気分が悪そうな顔をしているが、自力で歩けるまでには回復していた。
通常、大型モンスターはギルドの収集チームが大きな荷車で運ぶのだが、リナが魔導書にすべて保管していたため、その手間はなかった。
そしてリナが楼蝸牛を召喚した時、ギルドの研究部を兼任する目利きの男性職員は驚愕の声を上げた。
彼は、ザハラの強い日差しで焼けた肌に、学者らしい丸メガネをかけている。
短く一つに結ばれた銀髪が揺れ、その優しげな目だけが興奮に輝いていた。
「これは……! ギルドでもほとんど情報が得られていない、未登録のモンスターです! それがこんな、見事に真っ二つに……」
彼は力はあまりなさそうな普通体型だが、その落ち着いた声には抑えきれない研究への熱意が滲んでいた。
ザハラは国ではなく、モンスター調査のために建てられた拠点が発展した土地だ。
方々から人々が集まる土地柄、ギルド職員は複数の言語を習得しており、リナに合わせて流暢な東方共通語で話してくれた。
「なるほど、未登録だったからレックスさんたちも苦戦されたのですね! あ! でしたら、よければ私が記録した戦闘データも共有しますか?」
「本当ですか!? なんてことだ、戦闘データを納品してくれるハンターなんて、あなた方が初めてですよ! ぜ、是非! 是非お話をお聞かせください! ああ、自己紹介がまだでしたね。私は研究部のレオです」
「リナです。レオさん、よろしくお願いします」
盛り上がる二人を横目に、レックスたちはウォルフラムに向き直っていた。
「今回の勝負は、納品額を見るまでもなく俺たちの負けだ。駆け出し装備のお前や、あの小さなお嬢ちゃんが……まさかここまでとはな」
レックスは心底悔しそうに言った。
パーティーのタンクであるデュークは、打って変わって素直にウォルフラムたちを称賛した。
「お前たち、本当に凄かった! 俺らが外見で侮ってかかった楼蝸牛の特性をすぐに見抜いて、即座に戦術に組み込むとはな。まるで、リンダさんが鋭い勘で動くみたいだったぜ。すげえよ!」
彼は単純な男らしく、最初の喧嘩腰はどこへやら、興奮気味にウォルフラムの肩を叩いた。
弓使いのバロンは少し気まずそうに頭を下げる。
「俺は毒でほとんど見てなかったんだが……とにかく、助けてくれたんだろ? ありがとな」
ウォルフラムが何も返さないうちから三者三様に言葉を投げかけてくる。
特にデュークの熱量に、ウォルフラムは少しの面倒臭さを感じていた。
レックスが2人に聞いた。
「とにかく俺たちは助けてもらっちまったし、何かできることはあるか?」
彼なりに、お礼がしたいとの申し出だった。
「いや、特には何も」
「そっちの嬢ちゃんは?」
ウォルフラムは察して、仕方なくリナに通訳した。
「礼がしたいんだと。何か手伝いがあるかと聞いてる」
それを聞いたリナは手を合わせて微笑んだ。
「でしたら、明日お買い物に付き合っていただきたいです!地図とか必要ですし。あ、もちろんウォルフラムさんの服とかも、街を出る前に揃えて行かなくては」
そうして朝からの約束を取り付けた。
納品登録を済ませてギルドカウンターに登録書を提出しに建物内へ入ると、噂は既にハンターたちに届いているようだった。
食糧危機に瀕するザハラにおいて、優秀な人材の登場をギルドが見逃すはずもなかった。
「君たちの活躍は聞いたぞ!」
ギルドマスターがカウンターから出てきて、ウォルフラムたちの前に立つ。
「どうだ、このままザハラに残り、我々と共に……」
その言葉を、ウォルフラムが静かに遮った。
彼は、傷だらけで呆然と自分たちを見ているレックス、デューク、バロンを一瞥すると、ギルドの全員に聞こえるように、西の言葉で淡々と言い放った。
「勘違いしないでほしい。この功績のほとんどは、そこにいる『ザ・ロイヤルズ』のものだ。俺たちは、彼らの作戦に少し手を貸したに過ぎん」
一瞬、ギルドが静まり返る。
リナは言葉の意味こそ分からないものの、場の空気が一変したのを感じ取り、隣に立つウォルフラムの横顔をじっと見つめた。
(彼はいま、何と言ったのだろう?)
「……は?」
レックスたちが口を開けたまま固まる。
一番に我に返ったデュークが「おい、どういう意味だ!」と声を荒らげたが、それをレックスが腕で制した。
ウォルフラムは続ける。
「最初に楼蝸牛を発見し、その危険な能力をその身で解明したのも彼らだ。俺たちは、その情報を元に、一撃を放つ役目を任されただけ。英雄がいるとすれば、それは彼らだろう」
ギルドのベテランハンターたちは「本当かよ……」と訝しげな顔をする。
しかし、ギルドの隅にいた若い見習いハンターたちが、目を輝かせてレックスたちを見つめ始めた。
「すげえ……! ロイヤルズが、あの楼蝸牛を……!」
「俺、一生ついていきます、レックスさん!」
自分たちに向けられる、生まれて初めての純粋な尊敬の眼差しに、レックスたちは戸惑い、後ずさる。
しかし、もう後には引けなかった。
彼らが不本意な英雄となった瞬間だった。
リンダが提案した賭けの条件によって、その夜はロイヤルズの奢りでギルド内の酒場が盛り上がることになった。
ウォルフラムやリナも招待されたが、彼らは15歳と13歳。お酒を飲むわけにもいかない。
リナは盛り上がる店の中心から離れて、角のカウンター席でザハラの名物料理らしい串焼きを頬張っていた。
「俺は警戒されてないようだが、この人混みで顔を晒すのはまずいだろう。お前は食べていろ。俺は調べ物に行く」
ウォルフラムはそう言うと、一人でギルド内の書庫へと去っていった。
「では、後でウォルフラムさんの分、持っていきますね」
彼が聞いてるか聞いてないか分からないほどの静かな声で、リナは見送った。
ギルドの酒場は、楼蝸牛討伐の噂で持ちきりだ。
特に、納品場にで彼らを見ていた者たちから広まった「英雄の隣で戦況を読んでいた、東方の美しい魔法使い」の噂は尾ひれがつき、リナは注目の的になっていた。
彼女のように華奢で白い肌は、このザハラには似合わない物珍しさも手伝って、男たちの目にはことさら美しく映るのだ。
「なあ、あの子が噂のリナちゃんか…すげえ美人だな」
「ああ。なんでも、あのビギナー装備のウォルフラムって奴の相棒らしいぜ」
「西の言葉が喋れないらしい。くそぅ、話しかけてみたかったな」
そんな中、東方共通語を話せる、自信家なハンターがリナに声をかける。
「君がリナちゃんだろう? 俺はゲイル。ギルド内は西の言葉が主流で不便だろう?」
長く赤い髪を掻き分け、若く強気な瞳を覗かせて続ける。
「聞いたところ、旅の途中らしいじゃないか。俺も各地のギルドを渡る予定なんだ。ここで慕ってくれる仲間はいるが、旅の苦楽を共にするには実力がまだ足りない。」
優しくもよく響く声だった。
「君が旅を続けるというのなら、俺と一緒に行かないか?ギルドはあちこちに立ってるし、俺は護衛も通訳もできる。悪くないだろ?」
彼の持つグラスで、氷がカランと音を立てて、見た目よりも大人な色気を演出していた。
リナは彼の甘く囁くような勧誘に、微塵も気付いていない。
「ご親切に、ありがとうございます。」
にっこり微笑んで言葉を返す。
「ですが既に通訳をしてくれる方がいるんです。知識も頼りになります。」
ゲイルは知っていた様子で用意していた言葉を返す。
「あのビギナー装備の男か?知識があっても、君を守る力がなくては。俺ならその辺の奴らよりずっと腕が立つ。ここでのランクはAクラスだ。ビギナー装備じゃ、せいぜいDランクくらいだろう?」
ああ、とリナは納得したように呟いた。
「ウォルフラムさんの格好が、弱そうに見えるってことですね。私が彼に同行してもらうのは、確かに腕の強さを求めた訳ではありません。私は世間を知りませんから、代わりに彼が必要だったんです。ですが…」
彼女は食事を続けながら、悪意ゼロでナイフを突き立てるように言い放った。
「この街のトップ実力者はリンダさんなんですよね?彼女に勝てないなら、ウォルフラムさんにも勝てませんよ。貴方は彼に、敵わない。」
それはリナにとっては、アトラトル砂漠で彼がどんなモンスターも一瞬で片付けてしまった姿をデータに、リンダとも並ぶと分析した結果だった。
しかし、ザハラのハンターには信じがたい言葉だった。
あのビギナー装備が、王者リンダにも勝る?彼女の強さはハンターたちの憧れであり、誇りだ。
それを、ぽっと出の余所者初心者が上回ると評し、同時に腕に自信のあるゲイルよりもずっと格上だと言い切ったのだ。
「…わかってないぞ、お嬢ちゃん。」
それは先程までのトーンとは違った、怒りのこもった声だった。
「ならば男らしく、証明しよう。彼とどちらが格上か。」
そう言って彼は席を立った。
それからゲイルと似たように、何度か男たちがリナに話しかけてきたが、リナはあまり言葉を理解していなかった。
(なんだったの?)
話はすぐに広まり、血気盛んな若手ハンター十数人が、ギルドの書庫で古い文献を調べていたウォルフラムに押しかけた。
なんでも、彼を負かせばリナをパーティーに誘えるのだとか、そんなおかしな噂に変わっていた。
おそらく言葉の分からないリナが適当に相槌を打った結果なのだろう。
その中から、赤髪のゲイルが前に出る。
「お前がウォルフラムだな?手合わせしてもらう。」
彼の怒りは理不尽にもまっすぐ、ウォルフラムを向いていた。
ウォルフラムは心底面倒くさそうにため息をつき、パタン、と本を閉じた。
そして、ゆっくりと立ち上がると、一言だけ告げる。
「……騒ぐ場所じゃない。外だ」
ウォルフラムがゲイルたちに連れられて書庫から出ていくのを、酒場のハンターたちが興味津々に見送る。
ギルドの外に出た途端、ハンターたちが一斉にウォルフラムを取り囲んだ。
夜の闇が、彼らの敵意を一層濃く見せている。
「俺から相手だ。」
彼はついて来た他のハンターたちに有無を言わさず、自慢のナックルを構えた。
緊張が走った。
その様子を、酒場のカウンターから見ていた研究者の男性が、一人になったリナの元へ心配そうに歩み寄ってきた。
リナは彼の顔を見て、小さく会釈する。
「ああ…確か、研究員のレオさん、でしたね?」
「おや、覚えていてくれたのかい。嬉しいな」
レオと呼ばれた男性は、優しげな目を細めてリナの隣の席に腰を下ろした。
「さっき、君のパーティーの男性がハンターたちに連れられて外に出たみたいだけど、大丈夫かい?」
レオの気遣わしげな声に、リナは動じることなく串焼きの最後の一口を飲み込んでから答えた。
「ウォルフラムさんなら、その程度問題ないと思います」
彼女は少し考えると、誰に聞かせるともなく、小さな声で付け加えた。
「最悪が起きたら、私がどうにかしますけど」
その一瞬、少女の横顔に宿った強い光に、レオは言葉を失う。
彼女の言う「最悪」が何を指すのか、彼には想像もつかなかったが、目の前の少女がただ者ではないことを改めて確信した。
外では既に、痺れを切らしたゲイルが仕掛けていた。
「俺1人で終わらせてやる!」
ゲイル自身は両拳に装着したナックルを構えると、その先から青白い光の刃が伸び、即席の双剣となる。
しかしウォルフラムは剣を抜くまでもなかった。
ゲイルの振るう手首を正確に掴み取り、力づくに自身へ引き寄せる。
眼前に迫ったもう片方のナックルダガーが迫るも、内側から肘を打ち、弾く。
ドッ
一瞬で、ゲイルの鳩尾にウォルフラムの蹴りが入った。
「がっ…!」
ゲイルは倒れ込む。
ウォルフラムは元の位置から一歩も動くことなく、勝負は決まってしまった。
他のハンターたちは焦ったが、ここで逃げ出すこともできずに束になって一斉に襲いかかった。
それに対して、ウォルフラムは動じない。
背後から迫るダガーを、振り返りもせずに腕で弾き、そのまま流れるように相手の鳩尾に肘を叩き込む。
ウォルフラムの空いた懐に、ナイフを構えて迫りくる男の首後ろを掴み、構えたナイフの腕の下から蹴りを入れる。
ナイフは弾き落とされ、それでも止まらぬウォルフラムの膝が男の顎を強打した。
続いて正面からきた巨体のパンチを、後ろに体を逸らして避け、そのまま巨体の腕を掴んで続く胴に手を当て、自身の背後の別の敵の懐に投げ飛ばす。
ウォルフラムが後ろを向いたために、空いた正面から更に別の男が迫る。
それには振り返りもせず、屈んで足を払い、無様に転がす。
ほんの十数秒。あっという間に、その場は倒れ込むハンターたちでいっぱいになり、悲鳴と土埃だけが、後に残った。
地面に転がるハンターたちを見下ろし、ウォルフラムは冷たく言い放つ。
「もっと腕と品を上げてから来い」
その圧倒的な強さと、揺るぎない態度。
それを見ていた他の若手ハンターたちの心に、ある者は焦がれるような「憧れ」を、ある者は煮え滾るような「悔しさ」を刻み付けた。
ギルド内では、レオが軽く咳払いをして、仕切り直す。
「そ、そうか。君がそう言うなら大丈夫なのだろうな。…なら、君に聞きたいことがあったんだ。あの楼蝸牛のことなんだが……あいつは、どうやってこの砂漠で生きていたと思う?」「そ、そうか。君がそう言うなら大丈夫なのだろうな」
レオは賑わう酒場を見渡し、感心したようにリナに言った。
「それにしても、すごい熱気だね。君たちと『ザ・ロイヤルズ』のおかげで、街の皆も久しぶりに腹一杯食べられると大喜びだよ」
レオの言葉に、リナは不思議そうに彼を見つめた。
「そうなんですか? ザハラは食糧危機だと伺っていたので、少し意外でした」
「ああ。なにせ、一度にこれだけの獲物が納品されるのは本当に稀なんだ。それに、この街にはまだ優れた長期保存の技術がなくてね。貴重な獲物も、傷んでしまっては元も子もない。だから、こういうお祭りのような日は皆で分け合って、獲ってきてくれたハンターと獲物に感謝しながら食べるのが一番なのさ。…もちろん、これが毎日続けば、本当の意味での祭りになるんだがね」
少しだけ寂しそうに笑うレオの横顔に、リナはこの街が抱える問題の根深さを垣間見た気がした。
(保存技術…。何かできればいいけれど…)
レオはそんなリナの思考を察したように、研究者の顔に戻って真剣な瞳を向けた。
「…ああそうだ、君に聞きたいことがあったんだ。あの楼蝸牛のことなんだが……あいつは、どうやってこの砂漠で生きていたと思う?」
それを聞いたリナは、ああ、とレオを見つめ返した。
「戦闘データを共有するお約束がまだでしたよね。」
待っていましたと言わんばかりに、レオの瞳が微かに輝いた。
「ああ。この乾ききった大地で、あのような乾燥に弱いカタツムリが生きてるなんて、ずっと不思議だったんだ。もちろん、せっかく納品してくれたんだ。これから鑑識で色々調べるつもりだよ。」
「レオさん。あの楼蝸牛は、攻撃を反転させて自身の回復に使っていたのはわかりますね?レックスさんも、”回復することがある”との情報を戦闘中に話していたので、ギルドでも知られたことなのでしょう。」
レオはリナの言葉にうんうんと頷いた。
「あの子の魔法は回復させるだけではありません。私の解析では、縞模様から発せられる魔力から反転の術式が見られました。砂漠で『乾く』という現象を反転させて、『潤う』に変えていたのではないでしょうか?」
それを聞いてレオは驚きを隠せない。
「だ、だが、そんな物理を無視した、言葉遊びのような魔法を知能のないモンスターが?」
「はい。あの子の魔法は、事象を認識して、その意味を反転させる力です。きっと私たちが思っていた以上に頭がいいんでしょうね。戦闘中、私が浮遊しているのを見た楼蝸牛はその事象を反転させ、私を『沈降』させたのです。」
その具体的な戦闘の描写を聞いて、レオは目を見開いた。
「浮遊を…沈降に…!? 事象そのものを反転させただと? なんてことだ…」
「ええ。とても賢いですよね…!ああ、そうだレポートも提出したいですがそのままお渡しはできないので、複製技術はありますか?」
リナはにこっと笑う。レオは興奮に立ち上がった。
「ああ、あるよ!明日にでも是非研究室に招待したい。そこでなら資料のコピーも簡単だ。乾きを潤いに反転するなんて、実現すればこのザハラで農業も夢じゃない!」
レオがリナの手を掴んで熱弁していると、先ほどまで騒がしかったギルドの外が、ふと静かになった。
「お前はよく絡まれるな。お陰でいい迷惑だ。」
いつの間に戻って来ていたウォルフラムに、レオがビクッとしてリナの手を離した。
ギルドの外からは戦いを見ていた他のハンターたちが、興奮した様子で酒場に戻って来たところだった。
彼らは口々に囁き合っている。
「おい、見たかよ…あのゲイルが、手も足も出なかったぞ…」
「一瞬だったな…ありゃ化け物だ…」
噂が聞こえたレオは、ウォルフラムの目線にたじろぎながらも、そっとリナに説明してくれた。
「どうやら、君の相棒は本当に心配無用だったらしい。ゲイルという男は、このあたりじゃちょっと名の知れた腕自慢なんだが…それを彼があっさりと…。」
リナは親切な説明に頷き、尚も2人を睨んでいるウォルフラムに向き直った。
「ウォルフラムさん、こちらはギルド研究員のレオさんです。お仕事のお話をしてたんですよ。」
リナの説明にレオも慌てて付け加える。
「は、はい!是非とも私たちの研究に、少しでもいいので、力を貸してほしく。」