12_砂漠にカタツムリ

「あたしは別の仕事があるから」

ギルドに残るというリンダに軽く手を振り、リナとウォルフラムは二人でザハラの街の外へと踏み出した。
じりじりと肌を焼く太陽が、どこまでも続く砂の大地を黄金色に染め上げている。

再び砂漠を歩きながら、ウォルフラムが勝負の詳細をリナに話した。

「あの荒くれ達は、ザ・ロイヤルズという3人パーティーらしい。
リーダーのレックス、残り2人がデューク、バロンと名乗っていた。
俺たちは2人パーティーってことになってるが、別にお前が興味なければ俺は1人でも…」

その言葉を遮り、輝く瞳でリナが言った。
「なるほど、素材の総額で勝負ですか…! やりましょう、ウォルフラムさん! 私たちのコンビなら絶対に勝てます!」
その姿は、まるでこれから始まる遊びに胸を躍らせる子犬のようだった。
尻尾があれば、きっとちぎれんばかりに振られていることだろう。

ふと、リナは常々疑問に思っていたことを口にした。
「そういえば、ずっと気になってたんですが。一体どこでこの砂漠のモンスターの情報を?」

ウォルフラムが、最初に街へ来た日にギルドの書庫で調べ物をした時のことを淡々と話すと、リナは愕然とした。
(それって、せいぜい四、五時間程度のインプットのはず……。彼の記憶力はどうなってるの? 人間記憶装置なの?)
隣を歩く男の横顔を盗み見ながら、リナはその底知れない能力に改めて舌を巻いた。

二人の狩りは、驚くほど順調に進んだ。
ウォルフラムが記憶した膨大な情報の中から最適なターゲットを絞り込み、リナがその気配を的確に探し出す。
ウォルフラムが瞬時に仕留め、リナが便利な魔法で手早く素材を保管する。
その完璧な連携は、まるで長年連れ添った熟練のコンビのようだった。

その頃、例の荒くれ者の一人、バロンが二人の様子を遠くの岩陰から偵察していた。
自分たちが苦戦するようなモンスターを、まるで雑草でも刈るように、いとも簡単に仕留めていく光景に、彼の表情から焦りの色が濃くなっていく。
レックスに報告が届くと、彼らは起死回生を狙い、より報酬の高い強大なターゲットに挑むことを決意した。
しかし、その判断はあまりにも無謀だった。

しばらくして、リナたちの耳に、地平線の彼方から轟音と人の叫び声が届いた。
「……あの馬鹿どもか」
ウォルフラムが呆れたように呟く。
二人が音のした方へ向かうと、そこには信じがたい光景が広がっていた。

まるで動く家のように巨大なカタツムリに、荒くれ者たち、ザ・ロイヤルズが追い詰められていたのだ。
彼らの武器は見るも無残に折れ、仲間の一人、バロンは毒々しい色の粘液にやられてぐったりしている。
なす術もなく、ただ逃げ惑うだけだった。

「あいつら、やばそうだな」
ウォルフラムの言葉に、リナは「助けます!」と飛び出していった。

(やっぱりそうなるか)

カタツムリは見た目に反して早い。
追いつかれそうなレックスたちの前に回り込み、リナが手を伸ばした。

「箒に捕まってください。低空飛行でサポートします」

レックスがリナの手を取ると、彼女は箒の柄を掴むようにその手を誘導し、バロンを背負ったデュークもレックスの手を取ると、リナは慎重に加速した。

「リナ、お前は戦士じゃないんだ。1人で突っ走るな」

追ってきたウォルフラムがカタツムリの前に立ちはだかる。

そして、渾身の斬撃をその巨体に叩き込んだ。
それまでドドドと走っていたカタツムリは、動きを止める。
手応えはあった。しかし、傷一つ付いていない。
それどころか、ウォルフラムが斬りつけた箇所から緑色の光が溢れ出し、元々あった細かい傷までが完全に修復され、その巨体は一層滑らかな輝きを放った。

「……! 俺の斬撃で回復した?」

一瞬の驚愕。その隙を、カタツムリは見逃さなかった。
巨体から吐き出された毒粘液の弾丸が、ウォルフラムに襲いかかる。
彼が防御の体勢を取るよりも早く、眼前に幾何学模様の青い光の壁が展開された。
ジュウッ!と肉が焼けるような音を立て、毒粘液は青い光の壁に防がれた。

リナだ。
レックス達を少し距離のあるところまで誘導して、ウォルフラムとカタツムリの対峙を見守っている。
彼女は杖を構えたまま鋭い声で叫ぶ。

「ウォルフラムさんは絶対被弾しないでください! その方がずっと厄介なことになります!」

「…分かっている」

ウォルフラムは短く応えて、走り出した。
まだ彼がターゲットになっている。

回復したカタツムリを見た、レックスが叫んだ。

「あいつは、楼蝸牛だ!攻撃で、回復する!」

ザハラでは西方と東方の言葉が飛び交うのが常だが、西の人間であるレックスは東方共通語があまり流暢ではない。
それでもリナたちに合わせ、片言で必死に叫んだ。

リナはレックスの毒で倒れたバロンを一瞥すると、彼のそばに駆け寄り、毒粘液に焼かれた背中にそっと手を当てる。
リナの手のひらから放たれた淡い光が、毒の構造を解析していく。

「……なるほど」

彼女はすぐに飛び立ち、再び上空からウォルフラムを追う楼蝸牛を見据えた。

「魔力の質に、反転効果の反応が見られます! 回復魔法が使えればダメージが与えられます!」

「それはいいことを聞いた!」
レックスは懐から古びた聖印を取り出すと、楼蝸牛に向かって叫んだ。
「食らいやがれ、この野郎! 癒しの光!」
レックスの聖印から放たれた光が楼蝸牛に命中する。
その光はジュウッと言って楼蝸牛の厚い皮膚を少し焼いた。

「「……」」

屈強な男が、癒しの光を放ったのを見たウォルフラムとリナは、全く同じ真顔で顔を見合わせた。

「今、回復魔法を…?」

「……似合わないな」

「な、なんだよ!ハンターの初等訓練で習うだろうが!文句あんのか!」

レックスが顔を真っ赤にして、思わず母国語である西方共通語でまくし立てた。

「素晴らしいです!」

リナは目を輝かせて言った。

「ですが、闇雲に撃ってはダメです!あのモンスター、常に能力が切り替わっています!」

リナは魔導書からペンほどの長さの針を複数召喚すると、ウォルフラムに向かって叫んだ。
「ウォルフラムさん! 手伝って欲しいです。これを!」
彼女は針をウォルフラムへと接近して渡す。
「それは魔力識別針です! あのカタツムリの魔力反応が濃い部分…殻、頭部、体の縞模様に突き立ててください!」
リナの解析魔法は本来、直接対象に触れる必要がある。
これは彼女の魔力が少ないために必要な工程だ。
しかし、毒を持つモンスター相手にそれは危険すぎるため、研究所で使っていたポインターを応用したこのマジックアイテムで、遠隔での精密な解析を可能にしていた。

「分かった」
ウォルフラムは短く応えると、楼蝸牛に向かって疾走した。
巨体から放たれる粘液弾を紙一重で躱し、瞬く間にその懐へ潜り込む。
そして、リナに指示された通り、殻、頭部、そして体の縞模様に寸分の狂いなく識別針を打ち込んでみせた。

針が淡い光を放ち、膨大な情報がリナの元へと流れ込んでくる。
(なるほど…!あれは自分の周囲の物理法則を反転させる特殊な魔力フィールドを展開しているんですね。)
リナの瞳に解析の魔法陣が浮かび上がり、楼蝸牛に刺した針の位置と連動して淡く輝く。
(だから灼熱の砂漠でも、乾燥という事象を”潤い”に変換して生きていられる。なんて合理的な自己完結能力…!)
彼女は杖を構え、高速で術式を組み立てていく。
「解析完了です!判定式を組んで、識別色を付与しました!」

「皮膚の縞模様が術式の発生源です!
赤い時は回復魔法が、青い時は通常攻撃が通ります!
ですが、あの縞模様は地上からだと見えにくいです。
私が上空から合図を送りますので、皆さん、それに合わせてください!」

楼蝸牛が殻から毒霧を噴出する。
一行は散開し、息の詰まるヒットアンドアウェイが始まった。

「赤です!回復役の方、お願いします!」
「おうよ!食らいやがれ、この野郎! 癒しの光ぉぉっ!」

レックスの放った神々しい光が楼蝸牛の頭部に炸裂し、巨体が怯む。
しかし、ダメージは浅い。

「青です!」
リナのコールに即座に反応し、ウォルフラムが斬りかかる。
鋭い一閃が、楼蝸牛の硬い殻の一部を砕いた。
だが、破片が飛び散るそばから、傷口が再生を始めてしまう。

「…殻を砕ききる前に反転されました!赤、いけますか?」

「ぜえ、ぜえっ、ちょっと、待て。お前ら早すぎる…!」
スピードについて来れずに息が上がったレックスに、ターゲットを変えた楼蝸牛の巨体が迫る。
ウォルフラムは無言で彼の前に立つと、剣を構え、深く息を吸った。

「ウィル・ブレード…!」

放たれた斬撃は楼蝸牛ではなく、その足元の砂を斬り裂いた。
次の瞬間、砂が津波のように盛り上がり、楼蝸牛の巨体を飲み込んで、その動きを一瞬だけ止める。

「馬鹿力…!」

遠くで見ていた荒くれ者の一人、デュークが呆然と呟いた。

リナは、その光景に目を細める。
(明らかに、ウォルフラムさん自身の力が、私が見た過去より急成長してる。魔神化を何度か経た影響かも…。)

砂煙の中から、再び楼蝸牛が姿を現す。
その敵意は、空中で指示を出すリナへと真っ直ぐに向いた。
その瞬間、
「ひゃっ?!」
リナの乗る箒が突如として機能しなくなり、彼女の体は重力に従って落下を始めた。

「私の『浮遊』を反転させてるようです。そんなことも…?!」
箒が「沈降」の魔法効果によって、地面へと引きずり降ろされていく。
絶体絶命の状況。
一瞬驚いたものの、彼女の瞳にパニックの色はない。
落下するその瞬間でさえ、彼女の目は司令塔として、敵の僅かな変化を見逃さなかった。

「嬢ちゃん!?」
レックスの悲鳴が響き、ウォルフラムも息を呑んだ。

リナは落下しながら叫んだ。
それは助けを求める悲鳴ではなく、勝利を確定させるための、冷静な分析報告だった。

「ウォルフラムさん! 私を落としながら、同時に反転は使えないようです! ――青です!」

その言葉を聞いて、ウォルフラムは瞬時にリナから目線を外し、楼蝸牛に向き直る。

彼女の言葉を、その意図を、完璧に理解した。
今この瞬間こそが、単なるピンチではなく最高の好機なのだと。

「終わりだ。」

彼が地を蹴り、放たれた渾身の一撃は、閃光となって楼蝸牛の巨体を真正面から縦に両断した。

楼蝸牛の巨体が真っ二つに崩れ落ちるのと、リナにかかっていた「沈降」の反転魔法が解け、箒がふわりと浮力を取り戻すのは、全くの同時だった。

体勢を立て直し、ウォルフラムの隣に静かに降り立ったリナは、一つ息をついて言った。
「…助かりました」

「…ああ。お前のおかげだ」
ウォルフラムは短く答え、崩れ落ちた巨獣の残骸へと視線を向けた。


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