11_売られた喧嘩とハンター勝負
契約を交わした夜、二人は砂漠の片隅で久しぶりに暖かな火を焚いた。
揺らめく炎が、これまで張り詰めていた空気を和らげるように、二人の顔を照らし出す。
「食事の準備は、これからは俺がやる」
以前交わした約束通り、ウォルフラムはリナが差し出した調理道具一式を無言で受け取ると、手早く食事の支度を始めた。
リナは、彼がついさっき確保したサンドフィッシュを手際よく捌いていく様子を、興味深そうに眺めている。
ウォルフラムが手頃な石を拾い上げると、次の瞬間、その石は鋭い光を纏い、まるで業物の包丁のように滑らかに魚の鱗を剥ぎ、身を切り分けていく。
「すごい…!ただの石が、あんなに切れるなんて!」
素直な感嘆の声を上げるリナに、ウォルフラムは視線を魚に向けたまま、ぶっきらぼうに答えた。
「言っただろう。俺の血筋の魔法は刃物を強化するものだ。術者のレベルによって、”それを刃物だ”と認識できれば何でもそうなる。」
そして思い出すように呟く。
「…俺の兄上は、自身の体や服の裾すら武器にできた」
その声に、リナの知る刺々しさはなかった。
ただ、どこか遠くを見つめるような、静かな響きだけがあった。
やがて出来上がったスープを一口飲み、リナは彼の記憶で見た、光の中に立つ完璧な王子の姿を思い出していた。
「お兄さんのこと、とても尊敬してるんですね」
ウォルフラムは答えず、ただ黙々と自分の分のスープを口に運んでいた。
静かな時間が流れる。
その時、リナは少し離れた岩陰に、赤い炎を纏うトカゲの姿を見つけた。
ザハラの武器屋でその名を聞いた、フィニス・サラマンダーだ。
リナのターコイズの瞳が、途端に研究者のそれへと変わった。
「私、あれが欲しいです! ちょっと捕獲してきますね!」
それまでの静寂を破るように、彼女は意気揚々と立ち上がった。
ウォルフラムが「待て!」と制止の声をかける。
しかし、彼女の思考は、この数日で危険の基準値が狂ってしまっていた。
ウォルフラムの制止の声も届かず、リナは箒にまたがり、矢のように飛び出していく。
「無茶な…!」
ウォルフラムは舌打ちしつつも、いつでも介入できるよう立ち上がり、サッと魔剣を召喚した。
リナがモンスターを倒したところなど一度も見たことがない。無謀な行動にヒヤヒヤする一方で、流石に無策に突っ込むほど馬鹿ではないはず、と状況を見守った。
リナの接近に気づいたサラマンダーが、威嚇するように咆哮し、その口から灼熱の炎を吐き出した。
だが、リナは怯まなかった。それどころか、「記録出力を開始します」と呟くと炎の奔流に向かって、まっすぐに突っ込んでいく。
「蜥蜴さん、その炎が来ることは予測済みです」
炎が彼女を飲み込む寸前、リナは魔導書を取り出し、眼前に魔法陣を展開した。
灼熱の炎は魔法陣を貫通すると、暖かな色の光となってリナの体を包み込んだ。
(…炎を、吸収しただと…!?)
ウォルフラムがその信じがたい光景に目を見張る。
炎を防がれたサラマンダーが、今度はその強靭な尻尾を鞭のようにしならせ、リナを叩き落とそうと薙ぎ払う。
リナはそれを待っていたかのように箒を蹴り上げ、空中で身を翻した。
体操選手のようにしなやかに宙を舞い、サラマンダーの攻撃を紙一重で躱す。
主を失った箒は、しかし、彼女の思念に応えるように空中で静止すると、次の瞬間、弾丸となってサラマンダーへと襲いかかった。
硬い鱗を掠め、火花を散らしながら敵の注意を引く。
しかしサラマンダーは術者のリナをターゲットにしたまま再び火を吹く。その炎はリナを包むが、彼女は生身で炎を割くかのように現れた。その体はところどころサラマンダーと同じような厚い鱗に変質している。
「さっき吸収したのはトカゲさんの炎ですよ〜。しばらくは私の体にも耐性があります。」
彼女には、女の子の見た目を気にする素振りは全く感じられない。
物理的な爪の攻撃を交わしながら、両手に魔法陣を開き、サラマンダーの頭、喉、胴体、尻尾にパンパンと触れていく。それは攻撃ではないのだろう。全くダメージを与えていない。
「私の得意技は、触れたら”分かり”ます。」
その言葉と同時にサラマンダーの、リナが触れた箇所、そして彼女の瞳に魔法陣が光る。
「解析魔法、完了。なるほど、炎を吐く時の赤く光る咽喉は物理ダメージへの耐久が落ちてますね」
適切な距離をとって攻撃を避けながらサラマンダーをまじまじと見つめる。
「こっちです!」
リナはわざとサラマンダーの正面に躍り出て、囮になる。
怒り狂ったサラマンダーが、最大火力の炎を吐き出そうと、大きく息を吸い込み、喉元を膨らませた。
(――今!)
リナの思念に応え、彼女の背後から猛スピードで飛来した箒が、狙いすましたようにサラマンダーの無防備な喉元へ突き刺さる。
ゴッ!
鈍い衝撃音と共に、巨大な火蜥蜴は白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
リナは手慣れた様子で気絶したサラマンダーを魔導書の一葉へと封印する。
「記録出力を終了。」
パタンと魔導書を閉じると、焚き火のそばで固まっているウォルフラムの元へ、ウキウキと駆け寄った。
「ふふ、初めてモンスターを捕まえました!これで詳細にデータ解析ができますっ。」
ウォルフラムは何も言わなかった。ただ、召喚した魔剣を静かに消し去り、目の前で無邪気に喜ぶ少女を呆然と見つめるだけだった。
(……これが魔法使い、だと…?)
炎を吸収し、鱗をその身に発現させ、箒を弾丸のように操る。
その戦い方は、彼の知る「魔法使い」像とはかけ離れていた。だが、それ以上に彼を困惑させたのは、戦闘中の彼女の瞳だった。
(あいつ……自分が死ぬかもしれないという現実が、思考から完全に抜け落ちているようだったが…)
「あの、それでですね。さっきの、自分のことを分析したのですが」
リナはえへへ、と照れ臭そうに頭を掻いた。
「実は、研究対象への興味が勝りすぎて、つい、勝てる確信のない無茶をしちゃいました」
その言葉に、ウォルフラムはやはりそうかと呆れ、彼女を睨みつけて低い声で呟いた。
「……本当にやめろ」
その夜、リナはいくつかのゴーレムを夜番に立たせ、久しぶりにぐっすりと眠った。
ウォルフラムは結局ほとんど眠れなかったようで、翌朝リナが彼を見た時、その顔には疲労と、どこか釈然としない苛立ちが滲んでいた。
夜明けの涼しい空気の中、リナは今後の方針を提案する。
「コンパスはありますが、地図がありません。一度、補給のためにザハラへ戻りませんか? お世話になったリンダさんにも会いたいですし。私はアイセリアの外の通貨を何も持っていないので、何か仕事があればいいのですが…」
「俺はどうせ行くあてもない。戻るのは構わないが、俺が暴走したモンスターだと認識されている可能性も考えた方がいい」
「では、ゴーレムさんたちの魔導石の核は私の箒のエネルギーに有効活用させていただき、最速で行きます!」
有無を言わさず、リナはウォルフラムを箒の後ろに乗せた。
次の瞬間、景色が凄まじい速度で後方へと飛んでいく。
途中、大型モンスターの群れを避けようと箒が急上昇し、乗り慣れないウォルフラムの体がふわりと宙に浮いた。彼は咄嗟に片手で柄に掴まる。
「おい」
地を這うような低い声に、リナは慌てて振り返った。
「すみません、つい、クセで…!」
それも束の間、二人の眼下には、もうザハラの巨大な骨の城壁が見えていた。
まだ朝になったばかりの街の前で徒歩に切り替え、人の少ない道からリンダの家を訪ねる。
扉を開けたリンダは、二人を見ると少し驚いたように目を見開いた。
「おや、あんたたちかい。あのアトラトル砂漠を彷徨って無事だったとはね」
「この前は本当にお世話になりました。ろくにお礼もできずに気がかりだったんです。少し離れた場所のお土産も持ってきましたよ!」
リナがそう言ってフィニス・サラマンダーを召喚すると、リンダは「おお」と感心したようにそれを眺めた。
「結構いいじゃないか。生きたままのサラマンダーとは、珍しい」
「今日はお仕事ありますか? 良かったら何か手伝わせてください!ウォルフラムさんが是非恩返しがしたいと!」
「なっ…!? 何を勝手に…」
ウォルフラムが睨むが、リナは悪びれもせず話を続ける。彼自身、借りを返さないままなのは癪に障るので、強くは出られない。
「そうだねぇ。この街はちょうど食糧危機でね。一般職の者に食わせてやるには、ハンターが足りてないんだ。これを少しでも改善できるなら助かるが…」
と、リンダは一度2人をまじまじと観察した。
「あんたたちチビスケにできる依頼があるかどうか…。」
そして考えるよりもまずは様子を見てみようとの結論に至る。
「とりあえずアタシも支度したらギルドに行くつもりだったんだ。連れて行ってやるから、ウチで待ちな」
彼女の言葉にウォルフラムは心で不満を唱えた。
(……チビスケだと? こいつはともかく、俺まで含めてそう言ったな…)
身長が2メートルを超える彼女から見れば、ウォルフラムもまだまだ子供なのだろう。彼は不本意そうに口をへの字に曲げた。
リンダに連れられて外に出ると、ザハラの市場は朝の活気が満ち始めていたが、その喧騒にはどこか切実な響きが混じっているのをリナは感じ取った。
露店で干し肉の値段を交渉している、東方の異国情緒あふれる装束をまとった商人の大きな声が、一行の耳に届く。
「おいおい、冗談だろ!? こんな干からびた肉一切れに銀貨一枚だと? これじゃあ、せっかく持ってきた銘茶や香辛料が全部売れたって、滞在費で赤字になっちまうよ!」
店主は申し訳なさそうに肩をすくめるだけだ。
(なるほど…。リンダさんが言っていた食糧危機は、これほど深刻だったのね…)
リナが眉をひそめていると、隣を歩くリンダが呆れたように言った。
「見てみな。あれが今のザハラの日常さ。ハンターが獲物を持ち帰らなきゃ、街の連中も、ああやって来た商人たちも、みんな飢えることになる。悪循環だね」
活気の裏に潜む街の疲弊を肌で感じながら、一行はギルドの巨大な門が見える場所までやってきた。
ギルドの扉を開けると、朝だというのに酒と汗の匂いがむわりと押し寄せてきた。
ここに来る前に、リンダの指示でウォルフラムは防具を着ていた。
「ウォルフラム、あんたは目立つ。これを着てな」
そう言って渡されたのは、新米ハンターが使うような、顔を完全に隠すタイプの甲冑だった。
ギルドのカウンターに着くなり、リンダはそのまま「ちょっと話がある」と受付の奥へと消えていく。
残されたリナは、初めて見るギルドの光景に目を輝かせていた。
壁に飾られた巨大なモンスターの頭蓋骨、読めない文字で書かれた依頼の貼り紙、酒場で楽しげにカードゲームに興じるハンターたち。
その全てが、彼女の知的好奇心を刺激していた。
(ウロチョロと…目立つことを…)
ウォルフラムが隅の柱に寄りかかり、呆れてため息をついた、その時だった。
「おい、ソワソワして、新しい受付嬢か? 俺たちが仕事の仕方を教えてやろうか? こっちに座れよ」
屈強なハンターの三人組が、リナを取り囲むようにして声をかける。
ウォルフラムは、それ見たことかと面倒な表情でその様子を見ている。
「??? すみません、私、西の言葉がわからなくて」
悪意のないリナの返事に、男たちはニヤリと下品に笑った。
「おお? 東方共通語か? そいつはここでの仕事にゃ致命的だな」
「受注発注もこなせねえだろう」
「俺たちが代わりの”仕事”をくれてやろうか」
男の一人が、リナの肩に手を伸ばそうとする。
「え? あの〜…」
(どうしよう、全く何を言ってるのかわからない…)
リナが困惑した、その時。
「悪いが、彼女は言葉がわからない。要件なら俺が聞こう」
甲冑姿のウォルフラムが、二人の間に割って入った。
男たちは「チッ、つまらん」と舌打ちし、彼の初心者向けの甲冑を見て嘲笑う。
「駆け出しハンターは引っ込んでろ」
「こいつらはアタシの臨時パーティーだが……あんたたち、何か文句がありそうだね?」
リンダが戻ってきた。
男たちの顔が、さっと青ざめる。
「り、リンダさん!? いや、文句なんて! 受付嬢だと勘違いして、オーダーしたかっただけさ!」
「大体、どうしてリンダさんがこんな弱そうなひよっこ達とパーティーを?」
仲間の一人が虚勢を張るが、リンダは鼻で笑った。
「全く、あんた達は朝っぱらから飲んでるだけなんだから、この子らを舐めてる資格があるのかね。このザハラはハンターが動かないと、みんな飢えることになるんだ。悔しかったら、この子らとどっちがいい成果を出せるか、勝負してみたらどうだい?」
彼女はウォルフラムたちに向き直る。
「悪いね、ここの若造共ったらまだまだ甘ちゃんで仕事を舐めてる。彼らのケツを叩くには、アタシみたいなベテランに負けるより、あんた達みたいな若いモンとの勝負の方が効くだろうと思ってね」
「…つまり、俺たちが勝負を受けて勝てば、結果的にあんたも助かると?」
ウォルフラムの問いに、リンダは頷き、再び荒くれたちに向き直った。
「それで? やるのかい? まさかビビってるかい?」
挑発的な言葉に、男たちのプライドが火を噴いた。
「リンダさん、俺たちがこんな新入りにビビるなんて、流石にないだろう! やってやるさ! 後でそいつらが泣きついても知らねえぞ!」
「威勢がいいねぇ。よし、決まりだ!」
リンダはニヤリと笑うと、ギルド中に響き渡る声で宣言した。
「それじゃあルールを決めるよ! 制限時間は、今日の組合の受付が終わるまで! 狩りの対象は問わないが、初心者が行って帰ってこれないA級危険区域は禁止! ギルドが買い取る素材の総額が高い方の勝ちだ! 負けた方は、稼ぎを全部ギルドに寄付して、今夜の酒場で働いてるヤツら全員に一杯奢りな! いいね!」
「おお!」「面白くなってきた!」と、周囲で聞いていた他のハンターたちから歓声が上がる。
「へん、望むところだ! リンダさん、そいつらが負けてもアンタは口出しなしですよ!」
「当たり前さ。これは、ハンター同士の正々堂々とした勝負だよ」
その盛り上がりの中心で、リナだけが小声でぽつりと呟いていた。
「私は最後までなんだかわからなかったのですが……なんだか、皆さん盛り上がってそうですね…?」