10話 観測者は砂塵に舞う

夕日が照りつける砂漠さばくに、獣の咆哮ほうこうが響き渡る。

目の前でウォルフラムが禍々まがまがしい「魔性の騎士」へと変貌を遂げる。
しかし、リナの瞳に恐怖の色はない。
あるのは、これから始まる大掛かりな実験を前にした、研究者けんきゅうしゃとしての極度の緊張と、未知への探究心からくるわずかな高揚感こうようかんだけだった。

記録ログ出力を開始かいしします。現在時刻、16:03:01。座標取得ざひょうしゅとく、記録。」

リナの静かな宣言を合図に、彼女の背後はいごに浮遊していた魔導書まどうしょが一斉に開かれる。
もちろんウォルフラムの声はリナには届かない。

「対魔神まじん用防御プロトコル、実行。オートガード全312弾、充填。」

パラパラと舞い散ったページが、リナの全身を包むように幾何学的な光のポリゴンへと変わり、そして消える。
不可視ふかしの盾が、彼女の守りを固めた。

「第一フェーズ、ターゲット選定法則のデータ収集を開始かいしします。カニさん、一度後退してください」

リナの傍らで待機していたゴーレム「カニさん」が、命令を受けてゆっくりと後ずさる。
しかし、その動きに魔神まじん即座そくざ反応はんのうした。
明確な敵意を向け、黒い斬撃ざんげきを放つ。
リナが杖をかざすのが一瞬いっしゅん早く、リンダをサポートした時と同じように手動の魔法陣シールドがカニさんとの間に展開てんかいされ、火花を散らして攻撃こうげきを防いだ。

「今単騎で失うわけにはいかないんです。急いで準備じゅんびしますから…!」

リナは杖を水平に構えると、魔導書まどうしょからいくつかの紙片を砂漠さばくの大地へ撒いた。
光の魔法陣が次々と地面に浮かび上がり、魔神まじんの近くには攻撃こうげき的な「砂竜」や「シカさん」、動かない「土人形」や「アリさん」の群れが出現。
そして、魔神まじんから遠く離れたカニさんの周辺にも、俊敏な「トカゲさん」や「岩人形」、「フンコロさん」が召喚しょうかんされる。

「検証を開始かいしします。全個体、作戦行動に移ってください」

リナの号令ごうれいで、攻撃こうげき性を持つゴーレムたちが一斉に魔神まじんへと襲いかかり、動けるものは指定された座標へと移動を開始かいしする。

「対象の座標追跡のため、周囲しゅうい広範囲こうはんい無機物むきぶつにポイントを貼ります。」

魔導書まどうしょのページをどんどん消費して、岩や砂上を3Dデータ化するようにリナだけが見える線が覆っていった。
戦場は一気に混沌と化したが、魔神まじんの動きは冷静れいせいだった。
そのターゲットは、依然として後退を続けるカニさんだったが、眼前に迫った砂竜の敵意を感知すると、即座そくざにターゲットを変更。
一閃いっせんのもとに砂竜をほふり、次に狙ったのは、遠くにいながらも明確な敵意を向けて大きな岩を投げてくるカニさんだった。

魔神まじんはカニさんの元まで飛んでいき、爪を振う。

ガギンッ!

甲高い音を立てて斬撃ざんげきが弾かれ、カニさんの甲殻こうかくに仕込まれた魔法陣が起動。
魔神まじん攻撃こうげきを吸収し、即座そくざに同威力の閃光として撃ち返した。
予期せぬ反撃に、魔神まじんの巨体が裂け、わずかにたたらを踏む。

「各ユニット、適正距離きょりへ再配置(リポジション)します。」

リナはまた魔導書まどうしょを破り、カニさんに距離きょりを詰めた魔神まじんに合わせて、ゴーレムたちを移動した。
魔神まじん再生さいせいしながら振り返り、近くにいたシカさん、そして遠くのトカゲさんが次々とはらわれた。

「観測完了。最優先は攻撃こうげき性、次いで距離きょり。質量はあまり関係ありませんね。記録します」

リナは冷静れいせいに分析結果けっかを口にする。
攻撃こうげき性を持つゴーレムが全て排除されると、魔神まじんは次に近くにいた土人形、そしてアリさんの群れを順に破壊はかいしていく。
遠くにいた岩人形やフンコロさんには、一瞥いちべつもくれなかった。

「完全な再生さいせい完了を確認。…以前の観測データより、再生さいせい速度が約7%向上しています。肉体の限界からの再生さいせいかえすことで、呪いは強化されるという仮説かせつが立てられますね…!」

リナは小さくうなずくと、意を決して、自ら実験台になることを選んだ。
ほうきでゆっくりと魔神まじんに近づいていく。
魔神まじんは彼女を一瞥いちべつするが、攻撃こうげきしてくる気配はない。
だが、さらに一歩踏み込んだ瞬間しゅんかん、鋭い威嚇と共に複数の魔弾が飛んできた。

リナは素早く避けたが、その先に魔神まじん斬撃ざんげきを放つ。
ズガガッとリナの目の前でオートガードが展開てんかいし、衝撃しょうげき波がピリピリと彼女の肌に刺さった。

「わ!シールド貼っててもやっぱちょっと痛ったいなぁ!」

と言いながらも強気に口角を上げる。
思わず出た、今までと違う口調。
死線を潜る臨場感が、ほうきを操る高揚感こうようかんが、故郷こきょうでの競技選手としての彼女の顔を覗かせた。
しかしすぐに「研究者けんきゅうしゃ」の彼女に戻る。

「シールド残機、280。結構削れちゃいましたね。しかし私のように攻撃こうげき意志がなく、魔力まりょく量も低い存在は、処理の優先度が低い……いや、」
(もしかして、彼の意思?ウォルフラムさんが魔神まじんを止めようとしてる説も濃厚ですね。)

リナは一度距離きょりを取り、魔神まじんは一度ターゲットにしたリナを追ってくる。
その時、ログ用の魔導書まどうしょがピピっと反応はんのうした。
(大気中の魔力まりょく量、大幅に飽和ほうわ…!)

その情報じょうほうでリナは上空に素早く退避たいひ
途端に地面から黒く鋭い棘のような結晶が無数に天に生えてリナを襲った。

「あっぶない…!魔力まりょくを直接結晶化するなんて、なんて力任せな…!」

リナは上空からの光景こうけいに目を丸くした。
棘が生えた周囲しゅういの砂が、凄まじい魔力まりょく熱によって溶融し、不気味ぶきみな黒い硝子ガラスとなって固まっていたのだ。
それらは相当な魔力まりょく量であることの証拠であった。

(アイセリアトップクラスの、師匠と同じくらいか、それ以上の魔力まりょく量があるかもしれない)

しかしリナが空高く逃げ、魔弾や斬撃ざんげきをかわしながら見えなくなると魔神まじんは興味をなくしたように歩き始めた。
リナは上空で消耗用とは別の、記録用の魔導書まどうしょを手に開いて浮かび上がる情報じょうほうを確認している。

攻撃こうげき、止まりましたね。まだ、座標は観測範囲です。」

コンパスを取り出し方角を確認。

「ザハラの方角に戻ってますね。人が多いところに引かれるのでしょうか?それともその先に何か…?」

確認が終わると今度は魔神まじんに急加速して死角に回り込もうとする。
即座そくざ反応はんのうした魔神まじんから、斬撃ざんげきと魔弾の嵐が放たれた。
リナは卓越たくえつしたほうきさばきでそのほとんどを回避するが、数発がオートガードを削っていく。

「くっ、次フェーズ。鎮静化トリガーの仮説かせつに基づき、直接干渉かんしょうを試みます」

観測対象サンプルを見つめ直すリナは、魔神まじんの肩のわずかなふるえに気づいた。
彼女はそれに応えた。

「ウォルフラムさん!あなたが、抵抗してるんだと仮説かせつします。私の声が聞こえてますよね!?絶対止めますから、見ててください!」

リナは魔導書まどうしょから「記憶干渉かんしょう」の魔法陣が描かれたページを切り取り、高速で飛び回りながら杖で起動させて地面に設置した。
人の記憶を覗き見ることになるのが彼女の意に反するが、もし仮説かせつが正しく、どうせ解除の時に見てしまうなら、魔法でより少ない情報じょうほうを覗く方が彼のためにもなる。

「いいですよ。ターゲットそのまま、私を追ってきなさい!」

巧みに魔神まじんを挑発するような接近を繰り返しながら、トラップが設置された場所へと誘導する。
斬撃ざんげきがオートガードに被弾しヒリヒリとした痛みを覚えながらも、ついに、魔神まじんがトラップを踏んだ。
足元から迸る光の鎖が、一瞬いっしゅん魔神まじんを包む。

(かかった…!)

リナが息を呑んだ、その瞬間しゅんかん
彼女の脳裏のうりに、直接流れ込んできたのはウォルフラムの記憶ではなかった。

――燃え盛る火の中。ルビーの瞳を持つ、黒衣の美しい女性の姿。

(アイセリア・ルミナス様…!?)

予期せぬ結果けっかに、リナは驚愕する。
記憶の魔法はその断片的な映像で終わり、トラップに足止め効果はないので何事もなかったと魔神まじんはリナに斬撃ざんげきを飛ばす。
記憶干渉かんしょうが解除のトリガーとなる仮説かせつは通らなかった。

「シールド残機、残り84。……取得情報じょうほうを元に、アドリブの作戦に移ります」

リナは全ての分析魔法を解除すると、静かに杖を構え直した。

「エネルギー効率は悪いですが、シールドを魔力まりょくに還元します。」

その宣言の後に構えた杖に残ったオートガードが光となって吸収された。
陽が西に傾き、すべての影が長く伸び始めていた。
リナに斬撃ざんげきを繰り広げる魔神まじんは、半身に光を受け、影濃くなった半身で不気味ぶきみに瞳を光らせた。
正しく悪魔の姿だ。

「次フェーズ、ルミナス様との関係を検証。」

リナは、自身がウートゥンの儀で体験したアイセリア・ルミナスの記憶を魔法で複製した。
生成した光の球、それは攻撃こうげきではない。
純粋な情報じょうほうの塊だ。
シールドを還元しても即席魔法を行使するには彼女の魔力まりょくは少なく、ここで完全に消耗した。

「私の記憶の複製(コピー)をあげます」

魔神まじん斬撃ざんげきかすめながら、宣言と共に放たれた光の球を、魔神まじん攻撃こうげきではないと判断し、警戒しなかった。
構わず正面からリナに襲いかかり、光がその身に吸い込まれる。

その瞬間しゅんかん魔神まじんの動きが、ぴたりと止まった。

(何故かはわからないけど、効いた!次の検証タイミングは今しかない)

リナはその一瞬いっしゅんの隙を見逃さなかった。
サーフィンの様に体勢を直すと、ほうきを最高速度まで加速させ、一直線いっちょくせん魔神まじんへと突貫する。

迎え撃つ魔神まじんが、その長大な爪をはらうように振るった。
しかし、衝突の寸前でリナはほうきを蹴り上げ、自身のコントロールを物理に任せる。
はらわれた爪は、無人のほうきの上の空間を空しく切り裂いた。

勢いを殺さず、魔神まじんの頭上を逆さまに通過するその一瞬いっしゅん、リナは遠心力を乗せたしなやかな平手打ちひらてうちを、死角から魔神まじんの頬に叩き込んだ。

ペチンッ!

場違いに軽い音が響くと同時に、リナの体は一撃いちげきの反動と重力に引かれて落下を始める。
だが、主の意思に応えたほうき魔神まじん背後はいごで鋭く旋回し、猛スピードで彼女の元へと戻ってきた。
リナは差し伸べた左手で寸分違わずその柄を掴むと、片腕でぶら下がったまま、静かに体勢を立て直す。

彼女がろす先で、平手打ちひらてうちを合図にするかのように、魔神まじんを包んでいた黒い瘴気しょうきは、まるで煙をあげるように消え去った。
競技ではない、死闘での初めての無茶。
それが通るかは、彼女にとって大きな賭けだった。
張り詰めていた競技選手の顔から、いつもの研究者けんきゅうしゃの顔へと戻る、そのわずかな合間の、年相応の素直な感想が漏れる。

(ふう、緊張した……!)

瘴気しょうきが晴れると、そこにいたのは両膝を砂に落とし、呆然と上半身じょうはんしんを起こしたウォルフラムだった。
彼の体は呪いの力で強制的に回復しているものの、その表情には満身創痍の疲労が色濃く浮かんでいる。

リナの脳裏のうりには、また彼の悲痛な記憶が流れ込んできた。
胸の痛みをはらうように、彼女は一度強く目を閉じる。
(やっぱり、平手打ちひらてうちでの魔神まじん化解除と彼の心理映像は再現性があった。)
確証を得ながら、ウォルフラムの様子ようすうかがう。

「ウォルフラムさん!自分の意識いしきはありますか?」

リナがると、彼はか細い声でつぶやいた。

「ああ…驚いた」
「よかったです!」
リナは心からの安堵の声を上げると、間髪入れずに、もう一度彼の頬に平手打ちひらてうちを見舞った。
べチッ!

「……???」

何が起きたのか理解できず、ウォルフラムが困惑の表情を浮かべる。
(…なぜだ?なぜ俺はまた叩かれた?しかも怒ってる様子ようすじゃなくすごい笑顔だ。)
リナは悪びれる様子ようすもなく、真剣な研究者けんきゅうしゃの顔で言った。
「あ。すみません、もう一回叩いたらまた魔神まじん化するか、検証する必要ひつようがあると思いまして」

「……危ない、実験を、するな…」

ウォルフラムは、抗議の声をしぼすのが精一杯せいいっぱいだった。
そんな彼を意にも介さず、リナは記録終了の処理をすると、彼の体をまじまじと観察し始める。
「おお、日焼けが綺麗に治っていますね。呪いの自己修復機能が、火傷の一種として処理したのでしょうか。今回は服も残っていますし…ということは、前回ワームの中で裸になったのは、消化液の影響で服は復活しなかったというだけ…」

ぶつぶつと分析を続ける彼女の姿を見て、敗北感と安堵感が混ざり力の抜けたウォルフラムは疲れのままにどさっと砂に倒れ込んだ。
(こいつ…死線を越えた直後だというのに、本当に余裕だな…)と、ウォルフラムは呆れるしかなかった。


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