7話 魔神の目覚め

リナの申し出に、リンダは眉をひそめた。
「一緒に来るだって? やめときな。危険だよ、チビスケ」
「ですが、ここのモンスターじゃないなら、何かわかるかもしれません!もちろん、足手纏いにならないよう距離をとります。私は飛べますから。」
リナの脳裏には、夢で見た黒いオーラを纏うウォルフラムの姿が焼き付いていた。
街の門は無視した。二人は骨の城塞を隙間から抜け、地に空に駆ける。
「リンダさん!向こうだ!“砂漠の目”が言うにはランク観測外だと…!」
門の付近に待機していた者が方角を示した。
「Sランクを超えるかもしれないってのかい!?誰が対応している!?」
「ゲッコー部隊だ!一番速い“砂漠の風”の隊だと聞いている!」
止まらず、駆ける。
「A級一人とC級多数か……。こりゃ急がなきゃな…」
リンダは小さく独り言を呟いた。
その言葉を聞いたリナは、静かに考えた。
――アトラトル砂漠、ザハラの街から徒歩二時間ほどの距離。
そこに、それは居た。
頭には角が、背中を沿って竜骨のような凹凸を伸ばして尻尾が生え、鎧の形に黒い装甲が同化した体。
先に外に出ていた機動力の高いハンターたちが、騒ぎを聞きつけて対峙していた。
彼らはアトラトル・ゲッコーに乗って距離をとっている。
「未知の敵だ!討伐依頼もない。セオリー通り撃退までが目標だ!アレが街にさえ行かなきゃいい!」
リーダーらしき赤髪が指揮を執る。
皆、目標を逸らすことに必死だった。弓を持ち、それぞれの相棒を駆る。
普通の矢は掠りもしない。人型のそれが纏う黒い炎が風を帯びるのか、遠くから放たれた矢は逸らされてしまうようだ。
それでも煩く感じるのか、魔神は一人の射手に手を向けると黒い魔弾を放った。
ゲッコーは速い。危なっかしくも、魔弾を避けてジグザグに走る。
「誘導方角はこっちだ!いけるか!?」
「りょ、了解!」
リーダーの赤髪が先導を試みたが、射手は攻撃を避けながら方角を合わせることに手間取っていた。
ゲッコーの頬に魔弾が擦り、軽症だが少しのパニックを起こした。手綱が乱れる。
「落ち着け相棒!」
標的となっている部下は、乱れたゲッコーをなだめようと声をあげた。
赤髪は素早く彼の前に出ると、敵の一手を刃で弾いた。
「標的、渡せ!」
部下も彼の後ろに退がる。
赤髪の武器は弓ではない。ナックルのような柄から伸びる光の双剣。
「”羽根の刃”」
赤髪はゲッコーから飛び降りるとビュオオと風のように、魔弾の間を避けて魔神へ急接近すると魔弾を構える手に一発掠めた。
矢が走るよりも速い、風の技。スピードを手に入れた彼の体感で、時がゆっくり流れた。
しかし、そのスローモーションの中で黒い敵が振り向いた。
次の瞬間。本能で退避した赤髪に、黒い剣が届いて胴を裂いた。
(剣…!どこから出した?)
「アニキ!」
鮮血に部下が焦る。
「……慌てるな、浅い。」
赤髪は風の速さでゲッコーに乗ることは間に合ったものの、その顔は青ざめていた。
再び距離が空いたが、敵は尚も赤髪を狙って剣を片手に追ってきた。
「いいぞ、街と反対の方角へ。お前たち、邪魔するな!ここにいろ。」
一人、標的になった彼は相棒と駆けた。
できる限り、遠くへ。遠くへ。
怪物は当然、血を止める暇を与えてはくれなかった。
赤髪を追いながらも、次々と魔弾を撃ってきた。しかし彼は難なく避ける。
「俺と相棒は、街で最速だ。」
だが長くは保てない。手綱を握る手は、程なくして冷たく震える。
「くそ、ちょっと血が足りないくらいで……!」
だんだんと距離を縮めた敵は、すぐ側まで来ていた。
その悍ましい姿が、目の前で剣を一振りした。
身を捻って避けたが、視界が白くなってバランスをとれない。
(ここまでか……)
彼は相棒から落ちた。
しかし地にぶつかることはなく、ビュッと伸びた長い舌に巻かれて宙に放られた。
ダダダッとゲッコーの影が走り、飛ぶ。空中で、仲間の一人が彼を受け止めた。
「アニキを乗せた!逃げ切るぞ!」
「散りながら走れ!方角は変えるな!」
隊の者たちはついて来ていた。
(こいつら…!来るなと命じたのに!)
声に出す余裕はない。気は遠くなっていく。敵は追い討ちの剣を振る。
「うわああ!」
部下が叫ぶ。避けれる距離ではなかった。
ビュッとその黒い手を矢が捉えた。剣の筋が逸れた。
「お、俺たちだってザハラのハンターだ!」
震える手で、別の仲間がゲッコーの上で弓を構えていた。
怒った怪物は射手の方へ跳んだ。一瞬で、射手まで一歩の距離。皆、息を呑んだ。
ドン
空から大きな影が、彼と怪物の間に割って入った。大剣で怪物の黒い剣を止めたのは、リンダ。
「そ、空から姐さんが!?」
「リンダさんだ!“砂漠の牙”が来たぞ!」
驚くゲッコー部隊。
「なるほど。すごいスピードだ、アンタの乗り物!ザハラ最速部隊に追いついた。」
空には白い箒に乗ったリナが飛んでいた。
―― 相棒より先に現場へ着いたのは、リナの提案だった。
『急ぐなら、窮屈でも私の箒に掴まった方が早いです。振り落とされない自信があれば、どうでしょう?』
『言うじゃないか、小娘。』 ――
リナは上空からその怪物を確認した。
リンダに並べば、背丈は低い。しかし黒い瘴気が禍々しくゆらめき、後ろに伸びる尾がその存在を大きく見せていた。
間違いなく、夢で見た魔神の姿だ。
(本当に…)
嫌な予感が当たって、リナの緊張は増した。
「被害状況は!?」
リンダが叫ぶ。
「アニキが怪我を!俺たちは大丈夫だ。」
その言葉に、リンダがちらりと赤髪を見た。仲間に支えられ、ぐったりしているが目線だけリンダに返した。
「応急ポーションは持ってるだろ!?ザハラの薬は優秀だ。処置してギルドに行けば十分間に合う!」
リンダは力任せに押し合いの剣を弾くと、次の一手でパアンと押し返した。
魔神は防御の剣を斜めに構えて受けたが、ノックバックで砂をずざっと滑った。
「ここはS級ハンター、リンダとその臨時チームが引き受けた!よくやったなガキども、退け!」
彼女の言葉に隊は走り去った。
リナは上空で様子を伺いながら、側に魔導書を浮かせた。
杖の先をそれに向け、冷静な声で記録を開始した。
「記録出力を開始します。現在時刻、15:40:03。記録。座標取得…成功、記録。正体不明の人型魔物と対峙。魔神と呼称。観測を続けます」
魔導書にパアアと光が走り、文字を書き込んだ。
――何もない、暗い空間。そこにウォルフラムは閉じ込められていた。
『またここか』
無数の黒い影の手が、腕に脚に、絡みつく。
体と意識が別のところにあり、今は自分が何をしているのかさえ分からない。
『ろくなことじゃないだろう』
それだけは断言できた。
黒い手の一本が、その手のひらを目の前に向けた。
手のひらからギョロリと、怪物の目が現れる。
『まだ消えないか、小僧』
『俺の体だ。お前こそ消えろ』
ウォルフラムはその大きく歪な瞳を睨んだ。
声は返事をする代わりに、その手でウォルフラムの顔を覆った。
既に囚われの身。抵抗できる力はなかった。
『眠れ、永遠に。何も知る必要はない。そうすれば、罪に囚われることもない』
――既に戦いは始まっていた。
魔神はリンダへ、無数に魔弾を撃つ。リンダは大剣を盾に、正確に受けた。
「リンダさん!敵は虚空からさえ魔力で刃を形成するはずです!気を付けてください」
空からリナが叫ぶ。
「知ってる敵かい!?」
「知っているとしたら……彼はウォルフラムさんかもしれません。何かに憑かれている」
「何だと…!?」
信じ難いが、真実だとしたら、街へ招き入れたのは自分かもしれない。彼は拒んでいたのに。
「責任はとらなきゃね…。」
リンダは空に叫んだ。
「確証はあるのかい!?止める方法は?」
「分かりません!ですが共通点が一つ、あの剣は彼が持っていたものと同じです。」
リナは杖を構えた。
「探ってみます!私は ”そういうの” が専門です!」
彼女が自身のこめかみに杖を当てると、瞳は魔法陣を映した。
「”観測眼 : タイプ ECO”」
空からの視野を補助する魔法。
「ハンターのアタシにできるのは撃退か、討伐だけだ!リナ、アンタからの提案が間に合わなければ……やるぞ、良いな?」
街での優しい瞳の彼女とは違った。鋭い眼光。
リナは頷く。
(だが…相手はモンスターじゃない、もしかすると人間なんだろう?それも子どもだ。)
リンダは揺らいでいた。
魔神は接近して剣を振るった。
リンダも大剣で受ける。魔神の力は凄まじかったが、大きな体格の見た目通り、力ではリンダが上だ。
「アンタ、ほんとにあの坊主かい?」
魔神は大剣の力を後ろに流して、懐に入り込もうとした。
しかしリンダの蹴りに飛ばされる。
「なるほど人間の動きだ」
上空のリナはその様子を見ていた。
(今、魔神の口が動いていた…。対話の可能性がある…?)
すーっと箒を下ろして、魔神へ近づく。
「自分の名前が、分かりますか!?ウォルフラムさん!あなたは、ウォルフラムさんではありませんか!?」
反応があるか、試した。
「声かけへの反応、行動からは確認できず。しかし瘴気の動きからは、僅かにノイズがあるように見えます」
リナは魔法陣を映した瞳で観察を続けた。
「近すぎだ!危ないよチビスケ!」
リンダが牽制する。魔神はリナの方を見ずに彼女の方へ爪を振るった。
まるで虫を払うかのような動き。リナは難なく避ける。
「剣でも魔弾でもなく、爪を払うだけ…?」
違和感があった。リナが近くで声を張って呼びかけても、矛先はリンダから離れない。
「リンダさん!標的は普通どう決まるんですか!?」
「そりゃあ、脅威になり得る方を警戒するだろう!リナ、あんたは攻撃手段を持たないんだろ!“殺気”が微塵もない。だが、絶対じゃないんだ。狙われる前に退がりな!」
リナは顔を顰めた。
「リンダさん!分析のために私のシールドで敵の攻撃を受けたいです!射線に入ります!」
「なっ!?」
リンダが止めるより先に、リナは魔神とリンダの間に割り込むと、杖を振って魔法陣の壁を宙へ呼び出した。
リナの白い機体での飛行は、ゲッコーどころかベテランハンターのリンダが知るどのモンスターよりも、速い。
黒い魔弾がボッと壁にあたる。
「シールドへの被弾確認、魔力痕分析…。これは…少なくとも2種類の魔法のハイブリッドと考えられます。ひとつはアイセリアの魔法に類似する計算式が見られます。」
リナは戦闘員ではない。あまりに危険な接近だった。
初め、恐怖はあった。だが実験に集中するあまり、忘れてしまっていた。
「研究者か…。周りが見えなくなる奴はよくいるが、今まで見た中で一番無謀だ。」
リンダの焦りなど気づく様子もなく、距離を取り直したリナが言葉を続けた。
「ウォルフラムさんと敵の共通点がありました。二種類の魔力の特徴が、彼の使ったものと合致します。」
「二種類!?多くの種族や文化が集まるアタシらの街でも、魔法を持っているってだけで希少だ。」
そうなると、例え魔神がウォルフラム本人でなかったとしても、無関係とは考えづらい状況だった。
(やりづらいな……アタシが斬るのは人か、否か。敵がただ、街と違う方へ逃げてくれれば楽だが……)
方角は意識していた。太陽で伸びる影をちらりと見た。
その目線に、リナが気づいた。
「リンダさん、私がリンダさんよりもザハラに近い方へ常に位置取ります。座標を取ってますから、把握しています。」
リナは杖でトンと魔導書を叩いた。時間制限があるのか、瞳の魔法陣は消えている。
「それは助かる!方角を考えながら闘るのは面倒だったんだ」
言いながら、魔弾を大剣で綺麗に防いだ。
魔神はリンダのパワーに警戒してか、先ほどから接近せずに魔弾ばかりを撃っていた。
また、リンダの方も魔神には追いつけず、攻撃に転じることが叶わずにいた。
(リンダさんには効いていなさそうな攻撃を、なぜか繰り返している)
リナは再び魔法陣の瞳で、リンダが魔弾を大剣に受ける様子を見た。
「リンダさん!大剣にダメージ蓄積が見られます。武器が、壊れそうです!」
リナの警告の直後に、事は起きた。魔弾を弾いた大剣は、中心からパキッと折れた。
「なるほど!よくもまあ、この厚い刃を折れたもんだ!」
リンダは追撃を折れた剣で受けると、もう要らないとでも言うかのようにその柄を魔神へ投げた。魔神は難なく避ける。
ダダダ、と砂地を駆ける音。
「せっかく武器を壊したようだが、別のが来た」
砂煙を巻き上げて駆けつけたのは、リンダの相棒。アトラトル・ゲッコー、海王丸。
彼女は海王丸の背へ飛び乗り、胴にあるホルダーから片手持ちの剣と盾を取り出した。
「ザハラの武器には特別な技がある。アタシは大抵力押ししちまうが、今回は真面目にやるよ。」
本気で行く、そういう宣言だが乗り気ではなさそうだった。
彼女はハンターだが、敵はモンスターではないのだから。
海王丸の背に乗って、機動力を得たリンダは魔神へ接近した。
リナは上空から目を光らせた。
「リンダさん!魔神の周囲は魔力濃度が高いです!別の魔法攻撃も警戒してください!」
リナの言葉通り、黒の魔法陣が地より出た。違和感を感じたリンダは手綱を引いた。
「あれは踏むなよ」
海王丸が縫うように地を蹴ると、魔法陣から無数に黒の剣が飛んでは消えた。
「これは……凄まじいな。さっきまでの手加減はなんだ?」
剣の嵐を避け切ると、次に魔神は剣を振り、宙にブーメランのような斬撃を飛ばした。
リンダはその黒い魔力の刃を盾で受けた。
リナは箒を低く飛ばして、再度反応を伺う。
「ウォルフラムさん!いえ、黒い方でもいいです!私の言葉がわかりますか?」
途端にリンダへの斬撃が止み、魔神の頭がリナを振り返った。その手が黒を集めた。
「”蛇の目写し”」
黄色の視線に、魔神が数秒止まった。リンダの構える盾と、海王丸の瞳が同調するように黄金に光っていた。
しかしすぐにパアンと光が散り、魔神は動き出す。
リンダは相棒から飛び降りて剣を振った。
「やっと間合いに入った。」
魔神の手に集めた黒はリンダに投げられる。
リンダは盾で受け、黒い魔弾は掻き消えた。
「リナ!危なかったぞ。アンタがいくら速くても近づきすぎるんじゃない!」
リナは既に上空にもどっていた。
「すみません、必要な観測で…!ですが気をつけます!」
「わかっちゃいるが、被弾したら観測どころじゃないよっ」
反省の色を見せるが、リナの思考はまだほとんど別にある。
(私への攻撃、遅かった。リンダさんに放った魔弾とは違う。攻撃じゃなく、警告みたいに。)
「近づいてほしくない、そういうこと?それでいて、攻撃しづらいパターンが、何かある…?」
リナは魔導書に目をやった。文字を見た瞳が魔法陣を閉じて、切り替えるように波のグラフを光として映した。
(声かけに反応は無かった。でも、周囲の魔力濃度に波が生まれている。)
「先ほどの魔力痕から採取した観測対象と比較。二種類の魔力について、現場の比率を計測開始」
リナは魔導書に向けて杖を振った。
(ああ…”人間側”のデータが欲しい……)
リナの中ではこの怪物の正体は確定だが、根拠を”夢で見た”では説明できなかった。
(おそらく彼のお兄さんがやっていたように、”魂感知”系の魔法が使えれば楽なのに、私の魔力じゃ到底足りない……。)
リンダと魔神は剣をぶつけ合っていたが、リンダは”人間の剣技”には慣れていない。力で押すも、いなされる。
魔神の一手が、剣の内側に入り込んだ。
「“獅子写し”」
リンダの動きが変わった。巨体の重みが無くなったかのようにしなやかに体を捻り、剣を避けるとバネのように捻りを返してそのまま回転斬りに転じる。
「剣技に付き合う気はない。」
彼女は猫のようなバランス感覚で、身軽に地を蹴り宙を舞った。
斬る動きではない。低い体勢から飛んで剣筋を避けると、剣で、盾で、殴る殴る。
魔神は角に剣を受け、後ろにのけ反るが支える尻尾がある。後ろには倒れない。空からの連続攻撃を片手の黒い剣で受ける。
魔神はもう片方の手を地にかざして、黒の魔法陣を出現させた。魔力の剣が生えて飛ぶ。
リンダは引かない。最大の隙を見つけたと言わんばかりに、魔神の顔面へ盾で渾身の一撃を食い込ませた。黒い炎が散り、霧となって揺らめく。
地から伸びた魔力の剣も、リンダの頬を掠めた。
片目を細めて見た、黒い炎の下。
人とは違う、悪魔の黒い目に、青の瞳が光る。
しかしそれでも半分覗いたその顔は、見覚えのある少年のものだった。
「本当に、アンタか……!」
覚悟していたはずの、決意が揺らいだ。
「リンダさん!」
リナが叫ぶ。地から伸びる剣は止まない。
ダン、ダン、ダンッ
低い銃声が響き、剣をかき消した。
「Sランクのサンドワームを千切り捨てるようなモンスター、できればもう、見たくなかったんだが。呼ばれちまった。」
遠くに重そうなライフルを掲げた女性が、ゲッコーに乗っていた。
「“砂漠の目”が来たか。」
