6話 砂漠の街ザハラ

リンダと名乗った女性は、リナに状況を説明してくれた。
「あんたたち二人はアトラトル砂漠のど真ん中で伸びてた。放っとくのも寝覚めが悪いんでね、アタシの家に連れてきたんだ。ここはザハラ。骨の城塞都市だよ」
「ザハラ……」
聞いたこともない名前でピンと来ない。
そもそも外では知っている情報の方が少ないのだ。故郷は三百年、閉ざされているのだから。
「二人、と言いましたね?私と一緒にいたのは……ウォルフラムさんでしょうか?」
その問いに、リンダは「ああ」と頷いた。
「坊やなら夜のうちに出て行ったよ。アタシにこんなのを置いていってね」
リンダはそう言って、テーブルに置かれた一枚の羊皮紙を顎でしゃくった。
リナがそれを手に取ると、そこに並んでいたのは、流れるように美しい文字だった。
リナの知るところ、アイセリアを含み世界は二つの共通語で分かれている。
そのうち東方共通語がアイセリアで使われる言葉。
もちろん外部を調査する部隊の一員として、研究所の文献で西方共通語には触れてきたが、実用的に目にするのは初めてだ。
「昨日の、夜、かしら……?」
一つ一つの文字は美しく丁寧に書かれていて読みやすいものの、使われている単語や言い回しが難しく、リナは眉をひそめて「うーん」と首を傾げた。
「ああ、そいつは西の言葉で書かれてるからな。あんた、そっちは苦手なんだろ。仕方ない、アタシが読んでやるよ」
呆気に取られるリナから羊皮紙をひょいと受け取ると、リンダはそこに書かれた内容を読み上げた。
ーー“リンダ殿
昨夜は非礼の段、伏してお詫び申し上げます。お心尽くしに厚く御礼申し上げます。
同行の少女が目覚めました折には、何卒よろしくお伝えください。
礼を尽くす余裕もなく、取り急ぎの志として金貨を一枚、書き置きに添えました。ご笑納いただければ幸いに存じます。
ウォルフラム”ーー
リンダは西の言葉で書かれた手紙を淀みなく読み上げ、その内容を東の言葉でリナに伝えてくれた。
そのあまりに自然な切り替えに、リナははっと息を呑む。
(この人、西と東の言葉を両方話せるんだわ…。それに、ウォルフラムさんも。ぶっきらぼうな話し方だったのに、随分と丁寧な西の言葉で…)
自分がいたアイセリアとは、文化も常識も違う場所にいるのだと、改めて突きつけられた気がした。
「これが、その置き手紙にあった金貨さ」
リンダはそう言うと、懐からキラリと光るものを取り出し、テーブルに放った。
カチン、と硬質な音を立てて転がった金貨を、リナは思わず手に取る。
それはアークライト帝国の金貨で、そこには一人の青年の横顔が刻まれていた。
(この横顔、どこかで…そうだ、夢で見た人に、雰囲気が似ている…!確か、ルーク陛下とか…)
リナが息を呑んでいると、リンダが呆れたように言った。
「あの坊主の口の利き方からは、到底想像もつかない手紙だろう? それに、その金貨だ。」
「この金貨は、どこのものか分かるんですか?」
夢との繋がりが気になって聞いた。
「知らないデザインだが、ギルドの連中ならわかるだろう。しかし金なら高価すぎて、こんな辺境の街じゃ使い道もない。」
リンダはふうとため息をついた。
「アタシは金には困っていない。この砂漠でも水や食糧が自由なほどに。突き返してやりたいんだが…お前さん、あの子と何か繋がりはあるのかい?」
(やっぱり、丁寧な手紙にこの金貨のデザイン、まるで夢と繋がっているみたい……)
そこまで考えて、リナはぶんぶんと頭を振った。
(落ち着きなさい、リナ・エヴァハート。私は研究者よ。非科学的な憶測で結論を出すべきじゃない。偶然の一致に、因果関係があると考えるのは、あまりにも安易だわ)
考え込んでも答えは出ない。
リナは自分の状況を整理しようと努めた。
「すいません、彼とはここに来る前に偶然出会った仲で、あまり知らないんです。ここが彼の馴染みの地でないなら、恐らく私たちは転移の失敗で辿り着いたのでしょう。」
「へえ、転移事故だったのかい。あの坊主、何にも言いやしないんでアタシも敢えては聞かなかったんだ。良かったら聞いてもいいかい?」
リナは頷くと、これまでの経緯をぽつりぽつりと話し始めた。
故郷アイセリアを旅立ったこと、海の上で難破船を見つけ、ウォルフラムと名乗る少年に出会ったこと。
そして、巨大な怪物クラーケンに飲み込まれ、咄嗟に試した転移魔法が恐らく暴走して、この砂漠に辿り着いたこと。
話し終える頃には、自分がいかに無力で、無謀だったかを改めて思い知らされ、リナは俯いてしまった。
そんな彼女の様子を見て、リンダはニヤリと笑うと、ポンとその背中を叩いた。
「うじうじしたって始まらないだろ!アンタ、大層な夢を背負って故郷を出てきたんだろうが、大事故の中でも生きてたんだ。まだいくらでもチャンスはある。」
「ありがとうございます。……考えてしまって。もっと上手くやれたんじゃないかって。」
リンダは顎に手を当て、少し考えた。
「そうだなぁ、元気が出ないのは飲まず食わずだからさ。まずは腹ごしらえして、それから街を案内してやるよ。ザハラは面白いもんで溢れてる。見れば少しは元気になるさ!」
「え、でも……私は通貨を持っていないんです。魔石などは少し持ち歩いてますが……」
「いい大人であるアタシが、アンタみたいな子供に出させるわけないだろう!アタシもちょうど買い出しに行くところだったんだ。ついでさ」
リンダの快活な声に背中を押されるように、リナは外に出た。
そこにはリナが想像もしなかった光景が広がっていた。
巨大な獣の骨で形作られた建物が立ち並び、色とりどりの布が日差しを遮るように張られている。
様々な人種が行き交い、活気に満ちた喧騒が街を包んでいた。
元の世界へ帰るための試練や、夢で見た光景のせいで気がかりなウォルフラムのことなど、気がかりは山積みだったが、リナは頭を振って思考を切り替える。
今、ここで一人で考え込んでも答えは出ない。
それよりも、まずは再出発の準備と、今置かれた状況を把握することが先決だ。
そのために、この街を知る必要があった。
市場の活気に目を輝かせるリナに、リンダは歩きながら説明を始めた。
「すごい…!市場に並んでいる素材は、全部このあたりのモンスターなんですか?私の知っている『魔物』とは、なんだか姿かたちが違うみたい…」
リナの問いに、リンダは頷く。
「魔物、ね。こっちで言う『モンスター』は、どっちかっていうと自然界の生き物がデカく、凶暴になったようなもんだ。竜やトカゲ、虫なんかが多いね。他所で魔物と言われるような、何がなんだか分からない姿のやつは、滅多にお目にかかれないよ」
「ああ、『何がなんだか分からない姿のやつ』代表といえば……『スライム』とかですか?」
「それだそれ!アタシも見てみたいんだがね、アタシはザハラが街として建つより先に、近くの街に住んでいたんだ。ザハラはギルドが建てた若い街だからね。」
リンダはこの地のベテランらしい。「隠居したら旅行にでも行くかね」と小さく呟いた。
「なるほど!この砂漠は生態系が全く違うんですね。じゃあ、リンダさんのように、そのモンスターを狩ることを専門にしている方々が?」
リナは興味のある話を聞けて、だんだんと元気になっていた。
「ああ、アタシみたいなのは『ハンター』って言うのさ。ハンターに依頼を出すのが『ギルド』。モンスターの討伐依頼だったり、素材を買い取ったりしてくれる。その素材がどうなるか、一番よく分かるところに案内してやるよ」
リンダがそう言って足を止めたのは、ザハラの街の喧騒から少し外れた一角にある工房だった。
一般的な鍛冶屋が放つ甲高い金属音や鉄の匂いの代わりに、そこから漂ってくるのは、乾いた骨を削る粉塵の匂いと、なめし革の薬品が混じった独特の香り。
「ここが、ザハラ一番の武器屋さ。アタシの武具の整備も、大体ここのオヤジに任せてる」
リンダに案内されて工房に足を踏み入れたリナは、息を呑んだ。
壁一面に掛けられているのは、鉄の剣ではない。
巨大なモンスターの爪をそのまま磨き上げた短剣、分厚い甲殻を削り出して作った盾、鋭い牙を何本も束ねて作った槍の穂先。
そこは、生命の痕跡が色濃く残る、獰猛で美しい武具の博物館のようだった。
「すごい…これが、全部モンスターの…」
リナは、まるで初めて見る絶景を発見したかのように目を輝かせた。
「よう、来たかいリンダ。だがちょっと早かったな、アンタの注文はまだ仕上がってないんだ。」
工房の奥から現れた、腕の太いドワーフのような体躯の店主が挨拶をした。
「おや、立て込んでるのかい?」
「俺じゃなくってギルド研究所がな。アンタの大剣”喰顎”のコアはモンスターから得る魔結晶を定期的に交換せにゃならんが、解体と調整が精密作業なんだ。こういうのは研究所のやつらの方が得意だからな。コアの調整だけは委託してる」
「そういや、そうだったね。アンタのところで技師を雇えりゃ早いのにな」
「この街は人が定着しないからなあ。ハンターもS級になったらみんな、高みを目指して出て行っちまう。残ってくれるのはアンタだけだ」
店主は悔しそうにリンダの肩に手を置いた。
「アタシはここが地元だからね。それはそうと、また旅の若い子を連れてきたんだ。ちょっと見せていくよ」
リンダの紹介でリナが少し前に出た。
「こんにちは、店主さん。リナって言います」
カウンター越しに見えなかったようで、店主は声のした方を覗き込んだ。
「おお、失礼。気づかなかったよお嬢ちゃん。この街はいろんな種族で溢れてる。小さなお客さんも歓迎だよ、好きに見ていきな。」
店主は気さくに笑って見せた。
リナはしばらく物珍しそうにキョロキョロとあたりを見回していたが、壁に飾られた巨大なサソリの甲殻で作られた盾に吸い寄せられるように近づいた。
「リンダさん!この甲殻、表面は滑らかに研磨されていますが、内部構造が興味深いです。光の透過率から見て、おそらく衝撃を効率的に分散させるための多層構造になっていますね。私の故郷の防御魔法陣の理論と、一部共通する部分が見られます…!」
「ああ?よく分からんが、サンドクローラーの背中の部分だな。頑丈で軽いから、盾にはうってつけなのさ」
リンダが肩をすくめる横で、リナは今度はカウンターに置かれた、黒曜石のように黒く輝く大剣に釘付けになる。
「店主さん、失礼ですが、この剣の素材は?一見、ただの骨には見えません。非常に高い密度と硬度を有していると推測されますが、これほどの強度を維持しつつ、どうやって刃を形成しているのですか?特殊な薬品による溶解加工、あるいは超高周波振動による分子レベルでの切削処置でも…?」
店主は、呆気に取られながらも言った。
「…嬢ちゃん、何言ってんだかさっぱり分からねえな」
彼は無骨な指でその大剣を撫でた。
「こいつは、ディアブロ・リザードの顎骨だ。あいつらの骨は、生まれつき黒鉄みてえに硬くてな。魔石を砕いた粉末を練り込んだ特製の砥石で、三日三晩かけて削り出すしかねえのさ」
「三日三晩!なんて非効率…いえ、素晴らしい職人技術です!ちなみに、その骨の硬度と靭性の比率は?破壊靭性試験のデータなどは…」
「はかいじんせい…?」
オタクの専門用語を早口でまくし立てるリナに、百戦錬磨のリンダと、頑固一徹の店主が、二人そろって顔を見合わせる。
しかし彼女は止まらない。
次に彼女の視線は、工房の壁に掛けられた一対の双剣に釘付けになった。
爬虫類の皮のような刀身に牙をつけたようなギザギザの刃先が、陽炎のように淡く、しかし確かに燃え上がっている。
「店主さん、あれは…!あの双剣、燃えてますよ!特殊な魔法の付与ですか?それとも素材自体の特性…!?」
「おお、嬢ちゃん、目が肥えてるな。ああ、そいつはそういう武器なのさ。元のモンスターが、この砂漠の先にあるフィニス火山をナワバリにしてるフィニス・サラマンダーでな。あいつは生まれつき火に耐性があって、自分の体内で燃える炎を武器にしちまう。活火山のマグマの中だって、水みたいにすいすい泳ぎやがるんだ」
今度は店主も自慢げに答えた。
リナは更に目を輝かせる。
「マグマを…!?なんて興味深い生態!融点や体組織の構造はどうなって…」
「……リナ」
リンダが呆れたように声をかけると、リナはハッと我に返った。
「あ、ご、ごめんなさい!あまりに素晴らしい技術だったので、つい…!」
真っ赤になって謝るリナの姿に、店主は「がっはっは」と豪快に笑った。
「面白い嬢ちゃんだ!気に入った!持って行きな、そいつはサービスだ!」
店主がリナの手に握らせたのは、小さなトカゲの爪を磨いただけの、粗末なナイフだった。
しかし、リナはそれを、まるで希少な鉱石か何かのように両手で大切に受け取ると、キラキラした瞳で深く頭を下げる。
「ありがとうございます!最高の観測対象です!」
その言葉に、リンダは「やれやれ」と空を仰ぎ、でもその口元は、どこか楽しそうに綻んでいた。
彼女はこの短時間ですっかりリナを気に入り、娘ができたかのような愛着を覚えた。
隣に立っていた店主にこっそり耳打ちする。
「この娘、なかなか可愛いじゃないか。ウチの海王丸みたいだ。」
店主はリンダの愛竜、アトラトル・ゲッコーである海王丸の、ゴツゴツした鱗や無数の傷跡を思い浮かべ、内心で首を捻る。
(…あの厳つい爬虫類と、この小さな少女がねえ。まったく、リンダの『可愛い』は、俺にゃ分からん感覚だ)
そんな和やかな空気を破ったのは、血相を変えて工房に駆け込んできた、一人の見張り兵だった。
「リンダさん! 大変です! 砂漠に見たこともない怪物が!街に向かって進んでいるらしい。」
血相を変えた見張りの男が駆け込んできた。
「人型のモンスターだ。今出てる兵士じゃ歯が立たない!近くにいたハンターが対応を代わったようだが、いつまで保つか…!助けてくれ!」
「人型だって…!?」
このザハラで、そんな前例のない報告にリンダの顔色が変わる。
「ああ、黒い炎を纏った、悪魔のような見た目だった」
(黒い炎…?)
黒い炎、という言葉が、リナの心臓を鷲掴みにした。
忘れようとしていた悪夢の光景が、目の前に蘇る。
リンダはすぐに大剣を手に立ち上がった。
「手持ち装備で出陣する。ギルドに連絡しな!緊急クエストをリンダに発行しろと。」
リンダが外に出てピューと指笛を吹くと、街を覆う骨組みからオオトカゲの相棒が滑空してきた。
傷のあるアトラトル・ゲッコー、海王丸だ。
「発行されたら部隊を収集する!履歴からアタシのパーティー経験者に当たれ。先に行く!」
彼女は海王丸に乗って叫ぶと、相棒の足で走り出した。
リナも慌てて空に手をかざした。
「シューティング・スター!」
彼女が呼べば、白い機体が飛んでくる。
リナの相棒は空を飛ぶ箒。パッと軽い足取りで飛び乗ると、リンダに追いついて並んだ。
「私も行きます!」
